壁打ち

感想、考察、日記、メモ等

「事務所」について何も知らない人間の、V事務所や芸能界とかの感想

にじさんじの緑仙が休止期間に入るとのことだった。

 

元々好きで(特に、企画モノの作り方が上手いところとか)チャンネル登録していたものの、僕自身が浮気性なので色々じっくりと追えてなかった。

あんまり傷つきたくないから(僕自身の精神の自衛のために)お知らせ配信も少ししか覗いてません。ごめんなさい。

そういう程度の人間が書いてるのでファンの方(そして万が一にもあり得ないとは思うけど、ご本人)は一感想としてみなさなくても全然いいです。

 

 

一年半前くらい?からなんとなく緑仙の気持ちってどうなのかなとか気にするようになって、実のところ配信が観られなくなっていた。

どうなのかなというのは、彼の努力の方向性を事務所は見てない感じがしたからだ。

 

そして本人もそういう「運営陣の箱売り、キャラ売り前提の営業」っぽい変化に気づいてる(というか、内部の人間なんだから外野よりよっぽど生々しいところまで見ている)んじゃないかなという気がした。

 

彼はかなり自力で頑張れるタイプであり、

「自力で企画実行する力、周りと協力したり、事務的な打ち合わせとか演者がやる以上の作業をこなして、企画を当時のテレビバラエティー水準くらいまで引き上げる力」

があったから、初期のにじさんじ(今よりギルド感が強かった気がする)では重宝されていたと思う。

 

 

同様のタイプが黛灰だったが、彼は更に自分が関与するモノすべてに目を通してチェックしていた人で、

運営側が段々勝手に物事(にじさんじ箱企画とか企業コラボとか、個人配信の絡まない部分)を進めていたりとかしていたので不信感、コントロール不能が高じて辞めてしまった。

(と記憶している。個人的な所感)

 

で、初期のにじさんじは個人規模ではどうにもできない部分(予算組みや関係者とのアポイントメント、権利関係の許可申請等)を補助して、後は個々の自主性に任せている感じだった…と思う。

だから緑仙の実行力も光る、活躍できる場所だった。

 

 

 

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でも今は箱売りやライバーの「モノ化」、キャラクター性を切り取って売る、昔ながらの芸能事務所の悪い部分を抽出したような場所になってしまってるんじゃないかと思う。

(スタッフや現場の人たちは良い人たちだとしても、「組織」としてのコントローラーを握っているのは経営者なので、その辺りの方針転換があったのでは…と思う。)

 

 

具体的な流れで憶測すると、

初期~2019年デビュー辺りまでのライバーの中で固定の組み合わせが発生。

この辺りは「クラスで仲のいい友達」的なゆるい繋がりで、本人たちの自主性に基づいたグループは息が長いイメージ。

同期繋がり等のコラボもあるものの、それはそれで一回きりだったり。けれども事務所側に強制力もないし、いい意味であっさりした関わりも多かった。

上記のゆるい繋がりや小規模なグループ(「箱」の前身)が好評だということに事務所側が気づき、

2020年くらいから「公式としてお出しする箱」を意識しはじめる。

以降は基本「ライバーの自主性でなく事務所側が指定した箱」デビュー、

企業とのコラボグッズ等に箱の概念を適用しはじめる。

過去のテレビ企画を模倣した感じのバラエティ企画(ライバーが発案したのかどうかが不明瞭)が現れはじめる。

 

※テレビ企画の模倣に問題がある訳ではなく、企画やキャスティングや番組の流れが概ね決まっていて(もしくはライバーのアドリブに期待して)、ライバーはあくまでも「出演者」として出てくれるだけでいいですよ~という雰囲気。ライバーを半分お人形扱いして動かしてる…的な。

 

 

事務所はタレント(所属する人間のキャラクター性)を所持していて、招集して番組を作ったり、案件に「貸し出し」したりできる。

そしてこの状態の行き着く果てがまさにジャニーズ、宝塚、吉本等々の事務所問題だと思う。

 

飛躍しすぎに見えるけれど、要は

「人間をキャラクター・アイコン・モノとしてブランド化して、本質的には組織の手駒とする。」

ということではなかろうか。

人権ある一個人とみなさない。あるいは、規格外の力を持った「神」的な崇拝。

 

 

 

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Youtuberや実況者、Vtuberの話で何かと問題視されてきたのは

「構築した(または本人の意思に関係なく構築された)アイデンティティを、現実とイコールとすべきか否か」だと思う。

ある存在を「一人の人間」とみるか「キャラクター」とみるかは本質的に相容れない。

 

だからやる側も見る側も上手くバランスをとりつつやっている。

どちらかに極端に傾くと色々問題が発生したりする(犯罪・ストーカー、同人問題、公私をどこまでさらけだすか&それをコンテンツ化するか…等々)。

そもそも、人間=キャラクター100%にはなれないと思う(映画『トゥルーマン・ショー』とかをみても…)。

 

 

アイコンは、つまりイコン(偶像)である。

偶像は本物の神ではないが崇拝の対象になる。

偶像に人権はないし(神をかたどったものだから)、衣食住や生物的な物事に関与しない(故に”清潔”であるとも)。

アイドルも、広義的にはそうですね。

 

だから理想に近づけば近づくほど、本来人間であった人たちは「モノ化」していく。

そのアイコン・キャラクターを獲得していくほど、それ以外の部分は社会的に無かったものとされる。

 

 

こういう、芸能人の公私にどこまで踏み入るのかという話は

芸能(テレビ)の世界では数十年かけて「キャラクター化・モノ化」に価値が置かれてきたと思う。

 

(だから「人のモノ化」が芸能界ではどんどんエスカレートして、

一方現代ではSNSが浸透して一般人もそれなりのアイコンを持つようになったからこそ

「このテレビの演出や人の扱い方って問題だよね」という認識が芽生えて、

今まで金や権威で意見を黙らせていたテレビ各社や事務所の力もなくなってきて、そういうのが明るみに出てきていると思う。)

 

Youtuberや実況者、Vtuber

身の安全は?プライバシーは?個人の意思は?という問題は、上記のような

「芸能界のお約束」がないからこそ問題提起されやすいことであり、

けれど自分(演者、視聴者共に)と相手との地続き感が「テレビには無い良さ」でもあったからこそ答えの出ないものになっている。

 

 

 

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話が飛んでしまったけれども、芸能事務所化の進んだ大手Youtuber/Vtuber事務所は

もう「モノ化」が進み切ってしまっていると思う。

 

そういうところで主体性のある「手駒」、タレントはどう扱われるのかというと…

その主体性を切り取られ、キャラクターとしてのガワを与えられ、その役に徹しなさいと諫められる。と思う。

黛灰はその辺りをもう先読みして(というかそういうのが実際あり)、半ばそういう部分ににじさんじ事務所が足を踏み入れているのに気づいて去っていったんじゃないだろうか。(憶測)

 

緑仙については、今までの繋がりもあるし事務所を初期から見ているから本当に色々考えたと思う。

ここ最近の配信というか売り出し方は、毒舌系というかバズ狙いの炎上系っぽかった気がするけれども(僕は怖いのでサムネと配信タイトルしか観てません)、

それも半ば意図したものだったと思う。

「本音を言う」ことの人間性と、「毒舌、ズバッと言う系」のキャラクター性の両立で折り合いをつける…というか。(憶測)

 

 

 

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アイドルやYoutuberを目指す人たちはある時点で、

どこまでを血の通った部分にするか、自分のどこまでを「モノ化」するか考える時が来るんだと思う。

 

そして恐ろしいことに、その「どこまで」というのは完全に自己コントロール下に置くことはできない。

観る側であったり、アンチや外野によって数年分の構築が数時間で歪められたりする。

 

(しかもそれらは「社会の客観的評価、理性ある世論」ではない。

母集団が極端に偏っている場合がほとんどなので、尾ひれがついて「特定の層の歪んだ視点」が極端に強調されている幻のようなものだ。

そんな大きな歪んだ視点で見つめられれば、誰だって気が滅入る。気が滅入るどころの話ではなく、気が狂ってもおかしくない。と思う。)

 

 

事務所は本質的に守ってくれない。

弁護士費用は出すし声明発表もするかもしれないが、ストーカー犯を特定するような力も、SNSの拡散力を押さえつける力もない。

「売り出す」方向性の企業努力は諸手を挙げて尽力するかもしれないが、それは事務所にコントロールされるということでもある。

 

 

 

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この話に落としどころはない。僕の勝手な所感で”言及”だからだ。

 

個々人は、個々人の善きようにやっていくしかない。

 

 

 

 

 

 

以上です。