壁打ち

感想、考察、日記、メモ等

ポケモンは「生物」か、「人で非ざるもの」か

ピクミン1と2のように、よく対立項で語ってしまうけれども。

最近自分の中で判然としなかった「これはポケモンらしい/らしくない」の判定について、少し見えてきた気がしたので書きます。

 

 

※個人の見解です。

※個人的には長いこと「ポケモンは”生物”だ」という認識だった人間がこの文章を書いています。(今はちょっと揺らいでる)

僕はラルトスサーナイトと、スボミーロゼリアと、チュリネドレディアがごちゃごちゃになる程度のカス知識&記憶力人間なので、有識者の目に余る物言いかもしれませんがお手柔らかにお願いします…。

 

 

 

 

・僕に衝撃を与えた第四世代ポケモンドーミラードータクン

ある地点から、物をモチーフとしたポケモンが登場した。

中でも自分の中で強く印象に残っているのが、青銅器をモチーフにデザインされたポケモンドーミラードータクン」。

 

元々アンノーンとかチリーンとか「モチーフが生物ではない」パターンは第三世代まででもあったのだが、

ちょうど自分が学生で歴史を勉強しているくらいの時期で、教科書の「アレ」じゃん!となったのも記憶が濃い一因かもしれない。

 

このあたりからポケモンもネタ切れで、「モノ」をメインとしたデザインを採用しないといけない状況なのか……と憂慮(?)したのを覚えている。俺の知ってるポケモンじゃない……と。

 

 

第一世代、ポケモンシリーズ黎明期では認識として「ポケモンは実在の生物とモンスターの中間」というイメージが強かった……ような気がする。

RPGで戦うモンスターを、野生生物やペットのように人間の世界に浸透させたらどうだろうか?という感じだろうか。

(この辺りは先人が「ポケモンの定義、元ネタや当時のゲーム業界・日本や世界の社会的要因」について研究していると思う。)

 

 

それからだんだんと(というより、第二世代くらいからそのエッセンスは含まれていたと思うが)

社会問題や都市伝説、怪異的なものからやや離れ、遺跡探索や古来よりの伝承という要素が増えていった気がする。

 

そういった中で「モノ」をモチーフとしたポケモンが出てきたのは(当時中高生だった)僕のポケモン観ではあり得ない……と思っていたが、

以降もポケモンはどんどん増え続けた。一本のゲームに全種類収まりきらない程に。

 

そして今までシリーズが続いているということは、新しいポケモン達も(時にネタにされつつも)毎回受け入れられていったからこそだと思う。「モノ」モチーフであっても……

 

 

 

ポケモン世界のベース、日本の「アニミズム」と「創世記」

久々にポケモンアルセウス)をプレイして思ったのは、ポケモンは意外と「歴史・伝承」的な設定が過去作からしっかり引き継がれているということ。

 

マナフィのイベントはさすがに勘弁してくれと思ったが(せめて一本のゲーム内でヒントが欲しかった……)、

過去作の歴史と齟齬が出ない範囲でマイナーチェンジしたり、システム面の改善のため別の視点から設定が練り直されたりしているのは良い(ボールの由来とか)。

 

つまり、そういう一貫したポケモン世界の歴史を大切にしているのだと思う。

 

 

先述したように、遺跡探索や伝承をベースにした物語が何本も続くと、

歴史は縦に長くなる。創世の物語まで時代が遡ったり、逆に現代っぽい要素(家電に姿を変えるロトムとか)を入れて近代(今現在)を更新したり。

 

また舞台は初代からしばらくの間は、日本の地域がモデルとされてきた。

最近の作品こそ海外がモデルになることが多いものの、少なくとも欧米寄りのファンタジーシリーズにはならなかった、という点は大きいと思う。

そこから歴史や創世記の話となると、やはり日本をベースとしたものや元ネタのあるものが多かったように思う。

 

 

よって「モノ」をモチーフとしたポケモンが受け入れられてきたのは、日本の付喪神的なイメージ、信仰というほど立派ではなくとも「モノにも心が宿る」的な思考が普通に存在するからではないか……と感じた。アニミズム

 

例えば最近だとカミッチュ(りんご飴)とかチャデス(茶器)とか。

完全に人工物から生じているが、付喪神的な感覚であればそういうのもアリだ。

 

 

どちらかといえばポケモン=生物(に近しい存在)と考える人は、いわゆる西洋的感覚なのかもしれない(神がいて、人間がいて、ポケモン(動物や精霊)がいる)。

伝説系の「ちょっと生物の枠を超えている」場合は希少種や、逸話の具現化(ユニコーンとか、幻獣種みたいなもの)と捉えられる。

しかし全くの人工物からデザインされたポケモンは、なんというか……と感じてしまうのだ(僕個人がこっち寄り)。

 

僕個人でいえば、人工物から着想されたポケモンよりは「○○の姿」系(リージョンフォーム)の方がすんなり受け入れられた。

いわゆる亜種とか「近しい種だが、地域によって姿や気質が異なる」という部分が、生物学的な解釈の範囲内で説明可能だからだと思う。

 

人工物っぽいポケモンはナイわ~派の人、僕と近い感覚に当てはまるでしょうか……。

 

 

 

・人間が由来?のポケモン

最近のポケモンは生き物らしさが抜けて……と感覚的に思っていたが、そういえば完全にそうともいえないのであった。

人間が由来である(と仄めかされる)等、ポケモンか人間か判然としないケースは初代からあった。

それが原因で色々問題もあった(割愛)

 

 

「あるあさのこと。ちょうのうりょく しょうねんが ベッドから めざめると ユンゲラーに へんしん していた。」

最近になって気づいたが、この文章カフカの「変身」オマージュか。

 

上記のユンゲラーは「噂がある」という表現になっていたり紆余曲折あるが、人間がポケモンに「なる」可能性もあることは初代からあった内容だ。

 

またゴーストタイプだと魂や霊障についてのエピソードがあるが、その魂の全てがポケモンとは限らない(むしろ人間の魂が何らかの形に変異してポケモンの姿を取っているような記述にもみえる。ゲンガー、ヨノワール等)。

ミカルゲだと、アルセウスのサブイベントでほぼ確実に「人間の」魂であるとわかる。

(まあ、少女が「人の姿をした何か」である可能性も否定できないが……)

 

 

その辺りを考慮すると、一応初代の時から

ポケモンはもっと精神的な領域、生物学的に(遺伝的に)割り切れるものではない

ポケモンは「人ではない何か」という大きなくくりで考える方が自然かとも思った。

 

 

 

・「人類視点」に再構成される世界~追加されたタイプ~

また、「シリーズ中盤で追加されたタイプ」からみると、

シンプルな野生生物イメージから徐々に「人と一緒に暮らす、人以外の存在」という捉え方の比重が大きくなったように思う。

 

 

個人的に当時印象深かったのが「あく」タイプで、記憶がおぼろげだが確か当時は

ロケット団の改造ボールや技術により悪の部分を増強したポケモン」みたいな描写がアニメ等でありつつ出てきたタイプだった。

 

ポケカで言うと「わるいポケモン」シリーズみたいな、あくタイプ確立前の段階がありつつ……だった気がする。

(このポケカシリーズは1997年に「ロケット団」シリーズで出てたらしい。僕はポケカやらないのでよく知りません。いとこのお下がりで数枚だけ持ってた)。

 

 

つまり生まれもったタイプとしての「あく≒悪い心を持つポケモン」は、昔は無かった。人間の悪意によりポケモンに悪性が目覚めることはあれど、絶対悪としての存在はいなかったように思う。

 

アルセウスのヒスイニューラは「あく・こおり」ではなく「どく・かくとう」になっている。

時空の歪みで出会える従来のニューラは図鑑にて、起源は同じでも水質や土壌によって心身の性質が異なるのでは、という仮説が立てられている。

そういう点から見ると、生物も環境的要因により気質が変化することはあるだろう。

しかし、それを「あく」だと判断、分類するのは人間だとも思う。)

 

 

他に追加されたタイプは「はがね」「フェアリー」だが、

はがね=鋼はおそらく「人工的に精錬した」ものであるという点で、「自然にあるもの」である「いわ」タイプより無機物的であり、人間の文明より新たに生じたタイプである…というニュアンスではないか。

 

「フェアリー」は(新規ポケモンが登場というよりは、既に登場していたポケモンにフェアリー属性が付随したという点でちょっと異質だが)「人にあらざるもの」という妖精的な印象が強い。生物のように地に足のついた感じが無い、浮世離れした存在。

 

 

人工物モチーフが増えてきたことで必要になったのが「世界の認識、ポケモンの定義」を再考することだったのではないかと思う。人工物にも魂(ポケモン)は宿る、という再確認というか。

その上で「タイプ」として分類、定義するため必要になったのが上記の追加タイプだったのかもしれない。

 

新ポケ開発時はそういう「ポケモンとしてOKが出る一定のライン」みたいなのも議論されたりするんだろうか。

ポケモンシリーズは歴史も長いので、ゲームやアニメ、その他メディアミックスを通してポケモンに触れてきた人たちが作る側に携わったりすることもあっただろうが、

そういう「ポケモンをどういう風に定義しているか」で認識がかなり人それぞれだと思う。

 

 

 

 

 

以上です。