壁打ち

感想、考察、日記、メモ等

20240419

下書きに溜まってた記事で、なぜか寝かせてたり推敲が足りなかったものをそのまま出しました。

あまりたくさん抱えすぎても重荷になるし、その分リソースが割かれる。

 

考え方が変わったものは手を加えようかと思ったけど、ここ一年くらいのものなんでそんなに今の自分の考えてることとズレはない。

 

ただあまりにも歌のサビというか、自分の人生の中で悔しかった話や印象的だった話は他の記事で書いてる可能性があるので

多分その重複とかをチェックしようとしたまま放置してたんではないかと思われる。

 

 

社会人3年目くらいから「その話前も聞いたよ」「一度したことがあったね」と言われることが多く

(僕が相手に非難されたわけではなく、

もう言ってたか(照)&あー覚えてくれてたんだという印象)

記憶が曖昧になってきてるのかもしれない。

 

僕が子どもの頃、親に「その話前も聞いた!」みたいなことを言ったりもしたが

それに近づきつつある。

(今は指摘しないでスルーしている。我が一家は全員もれなく話が長く、ツッコミを入れると無限に脱線するため)

 

もしカブってたら「あーこいつまた同じ話してんな」でスルーしてください。

 

 

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最近眠すぎる。

周りの人も眠いと言ってるので季節柄もあると思うが、

仕事中に意識が飛びそうになるのは何とかしたい。

 

というか1月くらいからずっとこういう「一定の時間だけ意識が飛びそうになる」というのがあり、

でも睡眠障害が~とか無呼吸症候群が~とかそういう感じでもない気がする。

半年前くらいまでは同じペースで問題なく目が醒めていたので。

 

音ゲーやってるときも異常に眠くなる瞬間があるので、過集中で酸欠状態になってるとか?そんな急速に意識ダウンするものなんだろうか。

 

 

目が醒める薬が欲しい…と思うと覚醒するクスリのことを連想してしまう。

そういえば学生の薬物禁止の授業で、そういうクスリの謳い文句に

「目がさめるよ」というのがあって

それってそんなに欲しくなる要素か?と(健康な睡眠をとってた)当時は思ったけど、

 

多分大学生~社会人くらいで趣味も勉強・仕事も100%でやりたい人には響く言葉だったんだなあと思います。

30超えて趣味のものをやりたいのに、空き時間や休日を寝潰したりぼんやりして過ごしてしまうようになるとそういう切実さが実感できる。

 

(そもそも手を出すつもりは全くないですが)

僕の場合は抗うつ剤とか色々のんでるので、今更ムチャクチャできない感じになってしまってる。

本能的な”欲”も平らになってきた気がする。食欲とか性欲とか生きるのに必要な方…

 

趣味をもっとやりたい(漠然)、あれ食べたい(漠然)みたいな、

その日その日で変わってしまうような薄さの方しかないです。

そういうものって日々の家事や生活に必要な行動に直結しないので、ひたすら全てに対してのやる気が無くなっていく……。

 

眠くなる現象もできれば治したいが、根本が壊れてるので無理なのかも。

 

 

 

 

以上です。

好きな作家を応援するということ、推し活ということ

推し活というか、好きな人を応援するって現代ではどういうことなんだろうと考える。

 

 

企業に感想を送る時、

この人が少しでも快適に暮らせるように、金銭面や誹謗中傷などで苦しまないように、お願いだから守ってあげてくださいととりすがるような

 

個人の作家さんでSNSがあれば本人に直接コンタクトをとれてしまう世の中で、

企業に感想を送るのって「どうかこの人を捨てないで」という嘆願書を送るような気持ちになる

 

でも企業としては「より多くの層にリーチするような作家」だとか「固定ファンがこれからつきそうな作家」「伸びしろのある作家」とか理想像みたいなタイプがあるんじゃないだろうか。

 

そういうアプローチをすればいいんだろうか。

でも売り込みみたいで不純な気もする。

 

 

どうやったら相手(作家やその作家が関わる企業)を喜ばせられるかというのを考え始めるととても難しい。

本当は素直な感想が欲しいんだろうけど、見せる側も観る側も情報を発信することになれてしまっていてスレているというか

 

そもそもそういう「この人に幸福な人生を送ってほしい」みたいなの自体が傲慢なんだろうか。

20231117(ゆとりの僕、いじましい文化)

いじましい文化。

過去の事実やトラウマ、いびつな視点、ラベリング、それらがアイデンティティに繋がりつつ、自らのいじけたような精神性を晒す行為。それらに起因する作品群。

※これは僕がこういう概念を総称しているだけで、固有名詞ではないです。

 

 

ふと朝このことについて考えが止まらなくなり、スマホにメモしておいたのだが、

日中過ごすうちにすっかり頭から飛んでしまった。

 

その程度の軽さだけれども、すぐに取り出せる程度には自分の中で確立した概念?である。僕は幼少期からずっと、こういう精神性に憑りつかれていたため。

 

 

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・ゆとりの僕

 

小学四年生くらいの頃、教師は僕たちの学年全員をワークスペース(ちょっと広い廊下みたいなところ)に集めて、こう演説した。

 

「自分たちだけが悲劇のヒーローやヒロインだと思うな。不幸ぶるな」

 

結局何が言いたかったのかはわからなかったが、このフレーズが強く印象に残っている。

 

 

(今思うと、当時はお局っぽい女性教師が学年主任、20代~30代の担任教員という構成だった気がする。

演説は子どもたちから人気のあった20代の男性教師がしたのだが、もしかしたら上司の指示によってそうしろと指示されたのかもしれない。

 

でも体育の時間、バスケの試合を急に止めて「お前らは真剣にやっていない、もっと真剣にやれ!」と指導した後、

再度試合をさせて「な?さっきの試合より面白かっただろう」と言い放った教師だったので、

上記の演説も本人のたっての希望だったのかもしれないが。

僕は前の試合の方がリードしていたし、シュートもできたので前の試合の方がよかった。周りの同級生が教師の目につくほどふざけていたのかは知らない。)

 

 

脱線したが、悲劇のヒーローやヒロインになるなというのが同級生のどういう行為から発せられたものなのか、学年全体に感じた熱意の無さみたいなものなのか。

別に他の世代と違って、ペシミズム漂う子どもの集まりだったとは思わないが。無気力世代の子どもだから?

(いわゆる陰キャな僕ですら、今ほど暗くはなかった。)

 

 

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しかし演説虚しく、僕の中では脈々と「いじましい」精神が流れ、育ち続けた。

ゆとりゆとりと社会から馬鹿にされ、教師たちにも「特にうちの学年は出来が悪い」と保護者会で言われるような、愚かな我々。愚かさを思い知らされた我々。

 

 

そんな我々は年を取り成人した。

独断で進む政治に選挙で対抗しようとするも、結局は何も変わらない生活。もしくは選挙に行かない人間もいるかもしれない。

生まれた時代で馬鹿にされ、無価値な存在の烙印を押されたのなら、カードが配られた時に勝負はもう決まっている、そう思い込む。社会は変わらない。

 

「同世代でもうまくやっている奴はいるだろう」?

それは勿論、だって彼らは価値のある人間だったから。

それ以外は国民の、あるいは労働者として動く肉塊の頭数としての存在価値なんだろう。

少なくとも僕はそう思っている。

 

 

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当時僕たちの前で一席ぶったあの教師と、その周りの教師たちはこのことを覚えているだろうか。

 

熱血学園ドラマに憧れて教員を目指した人間が集う、夢のある時代だったのかもしれない。それに見合わない生徒をあてがわれて不満だったのだろうか。

もっとガラスを割ったり暴れまわったりした方がやりがいがあって、教師生活が充実しましたか?もう20年も昔の話だけれども。

 

昔の僕は素直だったので、そういうのはダメなんだ、と思った。具体的にどうすればよいのかはわからなかったけれど。

あと「ジコチュー」もダメだとテレビでやっていた。自分はジコチューにならないぞ、と気をつけていた。

 

さて、自己中心的であることが必ずしも絶対悪ではないこと、わがままと自分の主張や意見を持つことの違い、そういうことについて説明できる大人はいるのだろうか。

それこそ、アジテーションのできる人間だろうか。

 

僕はもともとそういう気質の人間だったのだろう、

立派な悲観主義者のクズに成長できました。

 

 

例の教師たちは僕と同世代の部下を持って現場にいるか、役職者でしょう。

部下に向かって「俺たちの時代は今の時代と違ってそんなやわじゃない、教育の被害者ぶるな」とか言っているのだろうか。

教育現場の過酷さがニュースで取り上げられているくらいだから、現場で頑張っている人たちはずいぶん疲弊しているだろうな。

 

 

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・いじましい文化

 

いじましい文化…的なものはもともと存在していて、これはファンの方々にいうと怒られるかもしれないが、「ねこぢる」とか「戸川純」とか、それらを源流とした感じ。

80~90年代くらい?アングラ系というジャンルに分類されていたものの一部。

 

病み系、精神疾患、暴力被暴力、社会的弱者etc……

 

華やかな時代、バブルな時でもそういうものはあったらしい。僕は詳しくないが、多分バブリーな人間たちに引き摺り出されて見世物のようになっていたのかもしれない。

 

 

今もまさに、そういう時代だと思う。

ポップカルチャーとインターネットスラム大喜利に乗せて、炎上、弱者男性、ADHD/ASD等発達系障害、毒親、病み垢、OD、迷惑系youtuber、推し活破産……

からの「生きてるだけでえらい」とか。

 

賑やかな世界の中で、そういうエッセンスが混在する。

そして界隈の中でも分断や流派が存在して、イガイガした空気に押し込まれている。

逆にそこが逃げ場所になってもいる。

 

(この記述には多分偏りがある。僕が無意識的に自分に居心地のいい世界しか見ないから。

もし「違うぞ!」と思う人がいたら、それはあなたの世界観だからで、ここに書いてあるのは僕の世界観だからです。)

 

 

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「同質の原理」という言葉があって、僕はこれを戸川さんの著作から知ったのだけれども、

 

そういうシンパシー的なものを渇望しているのではないかと思う。

 

事件の加害者に対して「いつかは自分もこうなるかもしれない」と思うような。

 

作品というのは表現されたもので、それを好きということやそれについて言及することそのものも、今や自己表現になっている。

私が好きなものを並べれば、それらが自分の形に置き換わっていくような。

 

 

 

以上です。

20240109

鮫肌男と桃尻女」を観てた。というか昔いいなと思って買ってあったのを、適当に流してたようなものだけど。

 

 

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浅野忠信かっけ~俺もこんな感じの男になりて~~という感覚を思い出した(?)。

目が細めで髭が似合う、ヒョロッとしてて飄々とした役を演じたりするタイプの高身長……

 

僕は、真逆である。

 

 

岸部一徳も、以前はそこまで意識したことが無かったが好きな役者なんだと思う。

気になり始めたきっかけがそもそも、この「鮫肌…」に出てくる岸部一徳がかっこいいというヒラコーのツイートからだ。

実際ナイフ投げのシーンとかメチャクチャ決まってる。他の映画やドラマでこういうストレートにかっこいい役をしている所をあまり見ない(年代的なものもあり)が、昔の作品とかを調べれば何かあるかもしれない。

最近だと「首」の千利休もよかった。

 

 

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声だと宮本充FGOのアヴィケブロンをやってるときの感じ)みたいな感じになりたい。落ち着いていて体の中で響く感じの、声が低すぎず高すぎず…少し高めなんだろうか。

アヴィケブロンとガンスリのジャン(ほぼ記憶なし)くらいしか観てないかもしれない。ジャンを演じてた時の声は「個」としての印象が薄かった記憶はある。冷淡な、普通の男性。

 

声優には詳しくないが、声はどちらかといえば洋画の吹き替えをしているタイプの方々の声質?に憧れがある。

吹き替えにもいろいろあるが、コミカルよりは抑揚の少ない滑らかな声の人が多い気がする。吹き替えの業界はナレーターとか「原稿をはっきりと読む」系の人が起用されるイメージだし、どストレートアニメ業界ともまた違う流派なのかも。

 

 

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「自分のなりたい姿形」って8割くらい自分と逆のイメージっぽい気がする。

だから今の僕がなりたい姿になれたとして、きっとまた別の方向に「なりたいもの」があって、憧れってそういう切りのないものなのかもしれない。

 

 

 

 

以上、「こんな風になりたい」のコーナーでした。

(ちいかわ黎明期の「こんなやつになりたい」のノリで)

20240417(『レザボア・ドッグス』少し感想等)

もう眠剤飲んでしまったので駆け足で。(飲んでから書くな)

 

レザボアドッグス観ました。面白かったしエンタメ性の高いクライム系映画だと思った。

 

僕がこの映画の存在を知ったのは同人でやたらパロされている印象があったからで、

確かにカッコいいし個々のキャラ立ちが良くてストーリーもトリック的な…伏線を回収する感じでそこが面白い。

 

以前実はパルプフィクションの冒頭のやり取りで離脱してしまったので

(うまく状況がつかめないまま話が進むのにストレスを感じてしまう性分)

今作も冒頭のメシのシーンとかで多少不安はあったものの、段々と個々人の判別がつき始めると引き込まれていく。

多分タランティーノ監督作品って観れば面白いけど、その「状況を掴む」ところまで耐え抜けるか否かというのがラインなんだと思う。

 

あともう一つ、僕はゴッドファーザーとか北野武映画の任侠ものが好きなのだが

そういう重厚感やしがらみみたいな部分を極力スッキリさせている所が、この作品のバランスのいいキャラクター描写なんだと思う(オレンジが好きになれるかで好みは分かれそうなものの)。

クライム系(特に任侠、ヤクザもの)を好む層というのは仁義とメンツを大切にしている印象が(個人的には)あるので、

海外のウケは知らないが日本人のそういうジャンル層が納得するかと言えばうーん…と思う。

 

長回しみたいなのもなく、極力必要な部分はカットしている、製作費の問題もあっただろうが……(インタビューも見たので)

 

その製作費の問題や駆け出し監督(とプロデューサー)を補って余りうる俳優陣だったらしいというのはインタビューで言われていてわかるが、

演じる上で難しそうな役はオレンジ、ブロンド、捕らえられた警察官で、ここがオーディションやそれなりの人選を経由して(コネクション的なものでなく)抜擢されているのもすごい。(※すみませんこの辺り曖昧です)

 

(ホワイト役の方はそうとうな大御所で金銭的な援助もされていたそうだが、彼もハマリ役だったし、重みのある役どころとはいえホワイト役を快諾したのも見る眼がある俳優なんだなあと思った。個人的には)

 

 

で、僕が思ったのはインディーゲーに似た熱量を感じたという所だ。

今までプレイしたゲームだとブラスフェマス、NaritaBoy、Neverending Nightmares等の「製作陣の執念、自我が感じ取れるような熱意」みたいな所が似た雰囲気を感じていて、

任天堂等の大手ゲームは今は

「プレイヤーがどこまで快適に、ゲームをして楽しいとストレスフリーでプレイできること」に注力していて、監督の個の意識とかは感じない。

(これは最近ピクミンポケモンをプレイしていて感じたことだ。勿論制作陣がシリーズを境に変わっていたりするのでそこに個というかグループの意識の変化を感じることはあれど。)

 

レザボアドッグスはエンタメとして(観客の心地よさを保持して)完成しているのにも関わらず

「監督やプロデューサーの撮りたいもの」の核心が削ぎ落されることがなく一つの作品として成った所がすごいと思う。

 

なんとなく僕はごく個人的な面で任侠モノとかクライム映画に関してはお堅い所があるので(だから一番好きなのはザ・正統派なジョーなんだが)

レザボアドッグスにはそういうジャンル特有の重み?を感じなかったけれど、

多くの人に支持されている理由やタランティーノ監督の代表作の一つとして挙げられるということ、エンタメとしての面白さは素直に納得したしいい映画だったな~と感じた。

 

 

まあ僕も大して映画は本数を見ている訳ではないので信用しないでください。(弱気)

ただ駆け出しの製作陣が熱意を込めて作ったものというのの嗅覚については、

インディーゲームプレイを通して見についたものかもしれないと思った。

しらんけど…

 

 

 

以上です。

20240414

アニメ初代→Zときて、ガンダムは今ZZの終盤です。

一応今回はあと劇場版初代とZを観てサブスクを終えようと思います。

 

作品の感想はもうちょっとまとまった感じの記事にしたいので保留。

さらにアルセウスの記事もそれなりにまとまった(自分のやりやすい)攻略を書いておきたい。

(他の積みゲーに移行して、たまに色ポケやタスク埋めするくらいの距離感が欲しい。)

 

この2種類の重めの記事が脳内に常にあって…(メモもある)、日々の日記まで停滞している。

そもそも春は苦しいし、自分の異常行動を抑えるので精一杯です。

 

まあいずれそのうち。

 

 

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ガンダムを観たので遊びの選択肢として「プラモを組む」が参入したのはでかい。

今までもプラモデル制作をやりたいと思いつつ、そういうジャンルにハマってこなかったんで……

 

ただ自分が好みのMSはどちらかというとガンダムよりザク系な上、

店舗取り扱いだと水星の魔女とSEEDがメインになってるので結局よく知らないものしか並んでいない……。

最近は駿河屋、まんだらけもご無沙汰なので久々に行ってみようかな。

 

無かったら造形用粘土で作るもよし。
(メカっぽいものは手作りだと歪んでしまいそうな気もする)

 

 

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ブラスフェマスの記事が伸びてるなと思ったら、ころねさんがやってた。

1をプレイしていたのは知ってたけど発売からしばらく気配がなかったので、あ~2はやらない感じかな~と思っていたので嬉しいです。

 

上記サブスクがあるので今はじっくり観られませんが、アーカイブでじっくり味わいたいと思います。

 

というかアクセス増えてるということは視聴者の皆が攻略を探しに来たんだと思いますが、あまり参考にならなそうなものばかり書いててシンプルに申し訳ない。

天使の位置とかアイテムとかは細かすぎるし、そのうち攻略サイトがやるでしょと思い込んでいたので……()

 

攻略サイトさん?(音沙汰、なし)

 

でもまあころさんは自力で本編クリアできる腕前の持ち主なので、きっと大丈夫だったでしょう……!

 

 

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ポケスリ、だいぶ強くなってきたけどプレイを重ねるほど良個体の進化前ポケが出てくるので、その度に切ない気持ちになる。

 

 

 

 

以上です。

Aさんは自殺未遂をした

※フィクションです。

※個人の主観的な感想です。

 

冒頭に書かないといちいちツッコミを入れてくるだろうと思うので宣言しておくが、

別に僕は合理性を以て誰かを糾弾する訳ではない。

僕は箸にも棒にもかからない、くだらない狂人レベルでこの文章を書いているということ。Aさんの擁護にも助力にならない不毛な文章。

 

時系列もグチャグチャで何が正しいか一切明かされない。

それを覚悟で読んでください。

 

僕はAさんの行為や今までの過去の全てを肯定はしないが、

Aさんという人間(それはあくまでもInternet経由でしか見えてこないものであるが)をただただ好きだということ。

Aさんに自己投影している部分すらあるかもしれない。

 

だから、理性的にこの文章を読めば駄文だと分かるだろう。

反論できる隙だらけで、僕はそういう所から弱みを突かれたり揚げ足を取られるのが死ぬほど不快だが、

この怒りが僕の脳から霧散する前に書き留めておこうと思う。

 

 

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Aさんは自殺をしようと準備していた。

自殺というのは衝動性がありつつも、未遂経験や具体的な計画性を考えるとかなり丁寧に用意していたと思う。

失敗(=未遂)した時の罪悪感も彼は知っているし。

 

僕もいつか「やる」つもりだから、

今回の準備期間と年齢、過去の経歴(※下記の通り全てを追っている訳ではない)を鑑みて、今回Aさんは絶対にやるし誰にも止められないだろうという諦念があった。

 

4月にはいなくなってしまうのか。過去に自殺したあの人たちと同じように。

 

何らかの情報が4月に開示されると言っていたから、それは予約投稿的な何かか弁護士を通して行われる告発かリークのようなものだと思っていた。

今となっては計画は中止なので、まだ温め続けられているのだろう。

 

(もしくはAさんが既遂することで公開される遺書に何かがあるのか。彼の死により明かされる情報そのものを指していたのか。わからないままだけれども)

 

 

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僕がAさんを知ったのは10年くらい前だと思う、自信がないけど。

※全てを追っていた訳ではなかったのは、彼の言動に少なからず独特の暴力性や衝動性がありそれが怖かったからだ。

言葉の一つ一つには共感できるのに、近づいたら僕は叱られてしまうだろうと縮こまる思いだったから、たまに見に行くくらいだった。

 

Aさんにはネットの住人的な友人がたくさんいて、実際に会ったりもしていたようである。

(僕はその時代を目撃するには遅すぎた。だから多分交友関係とかについては視点がズレてると思います。ご容赦ください)

 

Bさんとも元々は友人というか、知り合いではあったんだろうなと思う。二者が特筆する程交流があったというよりは、

当時の「ネット論客(という言葉は合ってるんだろうか)」の交友網がAさんに限らず皆、膨大な人数だったのではないかと思う。

このへんは本当に僕は無知なので何とも言えません。

 

しかし最近のAさんは公私ともに交流を断っていたようだ。それがBさんとの裁判の影響なのか、もっと以前からの自殺への準備だったのかはわからない。

 

憶測だが僕はその行為が、Aさんが

「これから自分は攻撃態勢に入ってしまう(持病なので回避不可能)から、皆はもう自分からは離れておいてくれ」という発信だったのではないかと思ってしまう。

それが互いのためだったのだと思う。真意はAさんと周囲の人しか知らないと思うけども。

 

 

 

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僕が遠巻きに、けれども定期的に彼の書く文章を読みに行っていたのは、

彼の文章に共感する部分があったり、異様に世界に対して優しすぎる一面があったり。

そういう部分に惹かれた。

 

僕は発達障害の診断は出ていないが、グレーな気がずっとしていて仲間を探すように精神疾患の症例集などを借りて読む学生だった。

高校生の時に強迫性障害のことを知って、小学校高学年くらいからあった異様なこだわり、抜毛癖、自傷癖にも納得した。

 

ここからは憶測で、Aさんに怒られてしまうかもしれない(もしくは強迫性障害を併発しているか否かの発言も過去あったかもしれない)が

「他人に迷惑をかけないで生きるべき」

「困っている人は助けるべき」

「自分が犠牲になってでも目的を達成するべき」

という強迫観念に突き動かされてきたのかもしれない。

 

自壊しながらも人助けをするのは(精神医学が進んだお陰もあり)正しいとは言えない、というのが現代の社会的視点かと思う。まず自分の足元を支えてから。

 

しかしAさんは借金をしたりしながらも、所謂”社会的底辺”で何とか日々食い繋いでいるような人たちを助けたりしていたとどこかで見かけた。

そういう人たちは生きる余裕が無いからAさんのものを奪ったり、恩を仇で返すようなことをされた旨の話もしていたと思う。

 

重要なのはそれを彼が「実経験を通して知っている」ということだ。

手を汚さず知った風な口を叩く、某メンタリストとかいう謎の職業の人と違って。

 

貧しい他国から日本に渡ってきた人に生活の仕方を教えて、その外国人の亡くなった部屋を片付けたとか。

炊飯器があって米があっても使い方が分からない、等々の話をしていたような、

(この辺りの貧困者の話はDaigoの生保受給者蔑視発言を受けてのものだったと思う。

気になる人は各自調べてください)

 

 

そういう話が僕には印象深くて、Aさんは身を削りながら人を助けている聖人のようでありながら、

しばしば凶暴で暴力的な文章がでてきたりしていたのが不思議だった。

 

自殺が失敗した時、彼は謝っていた。

「他者に迷惑をかけてはいけない」という強迫観念があり、自分の命がどうあるかより他者が被った様々な心理的瑕疵や不利益について、謝っていたんだと個人的には思う。

 

 

ちょこちょこ自語りが入ってしまって申し訳ないが、

僕も「他者の幸福のために全てを喜捨しなさい、自分の身を削って他者に差し出しなさい」と言われ続けているように感じて生きてきた。

「世界では貧しい国の子どもが飢餓で亡くなっています」という言葉の裏には「どうしてお前ごときが幸せを甘受してむさぼって生きているのか。反省しなさい。全ての財産を彼らのために差し出しなさい」と言われていると思っていた、小学生くらいから。

そういうCMが流れるたびに、生きていてごめんなさい、食べ物を食べてゴロゴロしてばかりでごめんなさいと自責した。

今でも反射的にそう感じるが、こらえている。募金をすればいいのだが、子どもの頃親に反対されてから募金行為自体が恐ろしくなってしまった。(親は変な団体に募金するよりはきちんとしたところに募金しなさいという意味だったと思いますが、僕が幼く馬鹿なのでそう理解できませんでした。今でも怖いです、申し訳ありません。)

 

 

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Aさんは自殺を決行したが、未遂に終わった。

他者に連絡を取ってしまったのは多分、アルコールとODの中でも意識は残ってしまっていたからだ。耐性ができてしまっていたのかもしれない。

 

(一患者の個人的所感だが、依存性や制御不能感が強いのは眠剤抗不安薬の方だ。

抗うつ剤を変えて副作用が出ることもあるが、”意識の制御ができない”点においては眠剤の方が強力だと思う。

自分が今いる時系列が分からなくなる、とか。

だからきっとAさんの場合も、実行時の決然とした思いから意識が飛ばされてしまったのだろう、多分。)

 

「連絡したんだから元々助けてもらうつもりだったんだろう」

「直前でビビッて助けを求めたんだろう」

心身ともに健康な人なら自然にそう思うんだと思う。それは幸せなことだ、ご本人たちにおいては。完璧な「自己制御感」。

(精神病や依存症患者のレッテルについてはここでは書かない、とても長くなるから。)

そういう幸せな人たちは幸せな考えを大事に胸に抱えておいてください。

他人にぶつけていたらいずれ自分の「自己制御感」まですり減りますよ。

 

Aさんの真意は知らない。僕は赤の他人だからだ。

でも僕は一つ学んだ、自分が「やる」時は制御不能になる前にセーフティーネットになりえるものを自らの視界に置かない方がいいってこと。

そうしないと本意でなくても、スマホを手に取って通話ボタンを押している可能性がある。今でも朝寝ぼけて誤タップしてるんだから。

 

 

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キチガイの僕視点だと、

Aさん自身の発信により(もう関わらない方がいいんだな)ということが各人各所に広まって、

しかしそれでもしつこく彼を追い回していたBさんという人がいた。

 

僕はこの人のことを一切知らないので「Aさんの病的行動に乗っかって裁判の俎上に上げ、見世物にした人」という知識(思い込み)しかない。

だからここに書くことは全て偏向的であるのはご容赦いただきたい。

 

AさんとBさんが口論になった、これ自体は発達障害はじめ精神疾患持ちにはよくあることである。

また一般人同士で民事裁判をやるのもごく普通なことである。

 

しかし不可解というか、国の制度を利用した嫌味のピタゴラスイッチにしか見えないのだが、その口論に端を発して裁判を起こしたというのが、ちょっと。

「債務不存在確認請求訴訟」?

 

狂人が解説しても誤解を招くだけなので、各自調べてください。Bさん擁護の人はBさんお抱えの人たちのまとめを読めばいいと思います。いかにも平民にわかりやすく簡潔に説明してくださっています。

Aさん擁護の専門家は僕は知らないです。

僕が見た段階ではAさん擁護派は少ないなwと揶揄されている(あるいは揶揄でなく至極常識的な考えとしてAさんは擁護できないなwということで、僕が狂人かもしれない)状態だったので……

 

僕はフィクションで書いているのですが、「債務不存在確認請求訴訟」の実例としてはこんな感じだそうです。

 

https://note.com/hima_kuuhaku/n/naebcefad02ba?magazine_key=md65c6fdf1254

 

この人も賛否両論ある方ですが、

この記事に関しては実際の訴状や資料をベースにしていて、どこの馬の骨かもわからんtwitter自称弁護士軍団の提示してくる内容よりはよいかと思います。

(一部引用で個人の意見が含まれていたとしても、きちんと根拠を残してあるという意味でも。あと別にこの記事を書いた人が現在どちらを支持しているとかどう思ってるかは僕は知らないです。)

 

決してこれだとは断言できませんが(フィクションなので)、

過去にこのような裁判があって、さらに裁判から派生して個人情報が晒されたことにAさんが怒っているというのは僕にもうっすらとわかりました。うわべだけ。

いつか悪魔の証明も法的にできるようになるんでしょうか。

 

そしてAさんが怒っているというか、クローズ就労が不可能だと絶望したのもまた強迫的観念であり

(クローズ就労が「人の役に立て」という鉄の掟に通ずる分なおさら)

他者にはその深刻性なんて1ミリも通じないんですよね。

 

むしろ空中戦してる大人より就活前後の学生や、恥を知られた瞬間いじめの対象になる地獄の渦中にいる少年少女の方がピンとくるかもしれません。

 

大丈夫かもしれないでしょ、他に道はあるでしょ。←まあ、あなた方みたいに器用に生きられればアリかもね。

当事者の中ではもう喪われた道になってますが。それを始める気力すら折られて。

 

 

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自殺未遂の報を受けて

(気味の悪いことに、ノリノリで)弁護士やら会計士やらが割と主体的にAさんの弁護士を揶揄していて、

こういう人たちが「法律をは自分を守るために必要。知っている方が勝ち」という主張をするタイプなんだろうなと思った。

 

(屋号を掲げてtwitterをやってる時点でお察しなのだが……多分有名人に議員投票をするタイプのお客さんとかが多いんだろうか。)

 

Aさんは発達障害があり本人の気質もあり

(それは”Internetご意見番界隈”を知っている・所属している方々ならそういう人だというのは知っているでしょう)

こういう行動をしている訳だが、

 

あるいは、Aさんが自殺未遂をしたことによってAさん本人からその弁護士にターゲットを変えたのか。

俺は弁護士あるあるを知らないのであの書面だけ見たら「親身な弁護士」以上の所感はない。

必要以上に客に深入りしない方がいいというのも、まあテレビドラマとかを見ていれば推測できる程度だ。

 

だからノリノリ弁護士会計士その周囲の人物etc.が村の掟を守れない奴をいびる辺り、同人業界のいびり合いにも似ている。

この値段はなんだ、この発言はなんだ、客とのライン越えだ、マナー(笑がなってない、等々。

 

 

僕が分からないのは、

弁護士とされる人物が規格外wすぎて「Aさんが弁護士を騙っている」と揶揄しているのか、「Aさんの弁護士が常識外れだ」ということを揶揄しているのか。

 

どちらにせよ気色悪い。

前者が笑えるなら、専門家が学生の無知や知識の蓄積の浅さにプークスwするというか、お前らが専門家な時点で知識量蔵書量、通過した経験量は相手より多いのは当然である。

後者の同業者の浅慮に笑うのもつまりはマウント行為という、SNSでありふれた行動だ。

弁護士先生もそういうことやるんスね。

 

法律関係の仕事で稼いでニヤニヤ観察している人々の中には彼の過去もよく知らない、ただ「ある訴訟が起こされた地点以降」しか知らない奴も多いだろうと思う。

 

勿論こういう仕事の人は調査が大得意だ

(それで飯食ったり資産をアレしたりしてるんだろうから、時間に対して収集できる情報量は半端ない効率的技術をお持ちだと思う)。

Aさんの過去の発言も見ているだろう。勿論有名な所や今遡れる範囲において。

 

他の部分は知らないだろう、精神疾患持ちの人間の内心がどうとかこうとか僕が前述したようなことは。知った所でどうでもいいだろうが。

 

 

こういう人たちってマジで鬱病とか精神疾患とかにならない精神構造をしているんだろうな、生まれつき。大変羨ましい。

その上で素晴らしい法的知識量、弱点のリサーチ力、言葉の選択の巧みさ。

 

そしてそれら上記の点(特に「頑強な精神を持ち合わせたこと、精神的恵体」)に無自覚でありながら

高みからその長い御御足で死体蹴りしているなんて、羨ましすぎてこんな文章を書いちゃってます。

 

一般庶民の僕には長い脚の先にあるであろう弁護士先生の御顔が見えません。

だから本当は弁護士先生の方が正しいし、聖人だし、苦労していらっしゃるのかもしれません。

 

僕は無慈悲に蹴り潰されるAさんの世界を眺めて、

自分は無関係なのに金鎚を振り回して特攻したくなる位には激憤しています。なぜ金鎚を振り回しているのかというと、僕が狂人だからです。

そこに合理性や六法全書は落ちていないです。

 

(僕の親戚で詐欺にあった人がいるのですが、犯人はまだ見つかっていません。

見つかっても自分の目の前に現れないことを願います。僕は彼らの頭蓋骨をぶち割る位の怒りを抱いているので。僕の人生を引きかえにしてでも破壊したい。

詐欺自体はもう5年くらい昔の話です。)

 

 

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Bさんは法律の専門家ではないかもしれませんが、ある程度法律について興味が無ければ”〇〇を証明するための訴訟”なんて思いつきもしないのでは…と思います。

そんなのできるんだ、法律って。(カスの文学部並感)

 

裁判後も「Aさんは疲れてるんだ、お互い適切な距離を保っていきましょうよ。」

といいつつ、つかず離れず嫌味を言ったり、

twitterには空中リプライという素晴らしい殺人兵器が搭載されています。)

 

Aさんの多くの知己の方々が(たまに空中戦に参戦しつつも)そっとしておく形でAさんから離れていった一方、

Bさんはねとねとまとわりつくような印象を受けました。こう言うと侮辱罪に問われるかもしれませんが、「独特の親密さ」という意味で。ニュートラルな意味で。

 

 

思えば訴訟自体も「名誉棄損」「身体的脅迫」という方向性に展開させなかった(刑事裁判、サツを介入させない)という点では、

そんな独自の親密さの体現だったのでしょうか。持病のあるAさんにそんな冗談、ユーモアが通じると信頼しきっていたのですね。

 

似たような病なんだからこれくらい、みたいな過信じみたものは今まさにこういう文章を書いている僕自身にも言えます。

 

僕はBさんのことは知らないですが。

 

 

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さてここで、Bさん最大の武器があります。

Aさんに家族の、特に子どもへの危害をちらつかせられたという話です。

 

これは口頭の話で録音も証拠もないはず?なので全てが曖昧なまま議論がされている感じですが、もしAさんがそう言ったのなら確かに軽率だったと思います。

 

(僕も子どもを狙う行為は本当に嫌いですし、そもそも理不尽な日本に生まれてしまったんだからせめて生まれてしまったあらゆる子ども達はできる限り傷つかないように生きていってほしいです。

僕がこういうことを書くことで「自分のことかも?」と思った全国の親御さんがイライラしたり情緒不安定になったりしたら、お子さんの心理的にもよくないです。

Bさんも精神疾患を抱えてらっしゃいますが、ご本人は比較的自己コントロールできている方とお見受けします。なのでBさんに関しては、お子さんの方が心配です。僕以外にもAさん支持派で、しかももっと過激な方がいるかもしれないので…)

 

 

しかし、「Aさんがそう発言したこと」自体がそれをそもそも実行する気が無いのを表しているかと思います。

AさんはBさんの子どもを手にかけることが「完全に不可能」だからせめてもの意趣返しというか、軽々しく攻撃的なことが言えてしまうのです。

だって、本当に狙っているならわざわざ相手の前で情報をちらつかせる前に、油断している隙に実行することも可能なのですから。

 

なぜ「完全に不可能」なのか?

Aさんは鉄の掟に死ぬまで縛られているからです。

「他人に迷惑をかけないで生きるべき」

「困っている人は助けるべき」

「自分が犠牲になってでも目的を達成するべき」

子どもを殺すことはAさんにとって絶対禁忌です。その証明は?と外野が言ってもどうすることもできません。それを実行する世界線が存在しないとしか言えない。

 

(こう書くと「じゃあ自殺のほのめかしも「発言してる」んだから実行する気ないよね?脅し文句だよね?」と思うかもしれませんが、はいともいいえとも言えません。

 

ただ「他人に迷惑をかけないで生きるべき」「自分が犠牲になってでも目的を達成するべき」という恐怖に憑りつかれている人にとって自己と他者は等価値ではありません。

自己は資源であり消費してなんぼのもので、

他者は嫌なことをしてきても「そういう行為でしか生き抜けなかった人たちだ」「そうするのは生き物として自然だから」で自己よりも価値を持つものとして説明可能なので。

(少なくともそういう他尊自卑的価値観においては)

 

自殺というのは殺人と同程度のエネルギーを必要とするとして、

人を殺したいぐらいのフラストレーションが溜まった時、

「他者を絶対に害してはならない」という鉄の掟がある以上、そのエネルギーは自己に全力で向けられるということです。

 

意味不明ですか?意味不明だと思っていた方が幸せに長生きできると思います。)

 

 

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長文失礼しました、もし万が一読んでくださった方がいれば不快な思いをさせてすみませんでした。

 

具体例や人の名前が出てこなくてモヤモヤしたかもしれませんがすみません、名誉棄損で訴えられる時代なので仕方ありません。

 

それこそガチの専門家集団ですからね。訴えるなんて言われたら必要最大限の社会的実害が及ぶレベルで大敗する未来が見えます、サルの僕でも。

非正規派遣独身中年の僕には裁判というだけで厳しい。預金残高で寿命を逆算してる程度には苦しいし。

 

 

この文章がかえってAさんを傷つけるかもしれませんが、僕は怒りで他者に殴りかかりそうなくらい怒ってしまったのでこの文章を書きました。

100%僕が悪いです。すみません。

 

 

 

以上です。

 

 

=追記(2024.4.9)=

参考までに、“親B派”の方の記事です。

https://shiroimai.hatenablog.com/entry/2024/04/09/Legend_of_Syakkindama

 

大変参考になりますね。多分僕よりも昔からお二人のことを御存知なのでしょう。

感情に任せた僕の文章と違って

目次までついていて、大変読み応えのある記事だと思われます。

沢山のAさんの引用と、僅かなBさんの引用で事実にもしっかり基づいていますね。

 

 

そういえば一つ僕の考えから抜けていたのですが。

「どちらが先にこの喧嘩をフッかけたのか?」ということ。

 

これは(この方のような)古くからの友人である人達なら自明なのかも知れませんが、

三者的にみて判断するのは非常に難しいと思います。

一つの裁判という区切りは明確ですが、

元々は交流のあった二者の間の軋轢は長い時間をかけて醸成したものでしょう。

人の関係の変化はデジタル的にパッキリと分けられるものではない気がします。

 

なので少なくとも全くの赤の他人である僕は、

卵が先か鶏が先かと同様に、

どちらが先かなぞ知る由もないのです。

 

 

いやいや、ネットの知恵者達の意見をあまねく見通せば、

「法規的、客観的、倫理的に正しい」答えは自明でしょう!と思われるでしょうか。

 

税務署の受付職員が申し訳なさそうにお年寄りに声をかける『ごめんなさいねぇ…』と

厚顔無恥な脱税政治家が『この度は、大変申し訳ございませんでした。』と吐き捨てたなら。

文字で解釈すれば後者の方が実に懇切丁寧な謝罪文を読み上げているでしょう。

ネットとは所詮文字列の集まりで、

悪意や下心でねじ曲げることなんてとっても簡単なんです。

 

(話が逸れますが、新書本は社会的に証拠に基づいた正しい意見を述べているんだと高校生くらいまでは思っていました。

大学生になってから色々な文章に目を通して、

急に「作家の思想、思い込みで恣意的に曲げられた書籍」の存在に気づくようになって、大変気味の悪い思いをしたことがあります。)

 

 

飛躍しましたが。

文字情報優位な世界に生きている方々ならば、

それもまた善い思考ということなのでしょう。

文字として構成されたものしか信用しない。

 

ただその情報源が、『全てはこの事件から始まった……』という壮大な導入があるとして

果たしてそれは事実なのか。

文字数や口述者の量=勢力の多寡なのか。

 

僕含め沢山の書き手が世の中にはありますが、

二人の人物の出会いの瞬間から間断なく、幽霊のように魂を従えた存在がいるとすれば、

真に「ことのはじまり」を口述できるかもしれませんね。

知らんけど。