取り敢えずエンディング2種類を回収したので書きます。
(実績埋めの為にもう一周はする予定)
本当はバラバラになっているテキストを並び替えて、全体像を把握してから書きたいとも思ったが
哲学的テーマや英語翻訳の観点から全貌を把握するには時間がかかってしまうので、
自分が一旦クリアして感じた事を先に書いておいた方がいいなと思い……
なので世界観の解釈や理解が追い付いていない(特に専門用語や慣用句)ままこの記事を書いています、その点ご了承ください。
ゲームジャンル、システムについて
『Portal』というゲームがある。僕は2しかプレイしていませんが……
Talosが影響を受けた作品と(多分)明言されていて、ファーストパーソン(一人称視点)でシンプルな箱、スイッチ等のオブジェクトを使用し解くパズルやSF的な世界観が近いと感じた。
Talosはそれに加えて廃墟を徘徊するような感覚で風景が構築されていて個人的にはかなり好みだった。
(半面、小物のオブジェクトは強調表示されず控えめに置いてあるので見つけるのに苦労した人もいると思う。
自分も探索に関しては自信があるがかなり見落としたし、”クリアするだけ”なら無くてもいいが見つけられなかった悔しさがある。必須ではないのだが悔しい。この問題?については後述)
また、多くの古代文明の歴史・哲学・神話について語られていてテクノロジーとの対比がなされているのだが、ただ安易なアイデアとして比較対照されているのでなく
制作陣がそれら古代文明(ギリシャ、エジプト、ローマ)に関してある程度の理解や知識があってこその一貫性を感じた。
(この辺りは自分が日本人だからそう感じるだけで、もしかしたら海外では義務教育で自然と通過する程度の濃度かもしれないのであしからず)
またQRコードで他のNPCの言葉を読み込むことができるのだが、これもまた
「今ここに」一人きりの寂しさと「どこかで誰かが同じ問題に行き着いた」一人ではないという心強さ両方を感じられて良かった。
個人的感想(ゲーム内での主人公(私)の在り方)
少し前の記事の『carcass』や他の記事でも頻繁に触れているが、
自分は主人公あるいはその作品内の住人としてゲーム内に存在する余地があるとそのゲームが好きになってしまう。
これは一長一短で、例えば偉人伝や主人公が明確に固有の人物像を持っている場合は没入できないというパターンが出て来ることもある。
『OFF』のバッターや『SEKIRO』の狼は人物像そのものが好ましいのでいいとして、自分がその世界に割り込まないと楽しくないというのは極端すぎるので
自分が没入する余地のないゲームは本を読んだり映画を鑑賞するような、”外側のものを眺める”体験として捉えている。
Talosに関しては、どうしても解けないパズルがあり正解を見てしまったので
その時点で自分は主人公としての位置を失って(捨てて)しまった事になる。
(勿論粘ってもいいのだが、積みゲーが他にもある事や自分の精神的負荷、自責的感情を鑑みて今回は甘んじて先人の知恵を借りる事にした。
パズルの難易度はものによっては玄人向けだったので、結果的に賢明な選択だったと思う)
ストーリーのネタバレはあまり気にしなくとも、”攻略法/解法”は自分で試行錯誤して見つけたいという部分を破ってしまった。
これに関してはやや落ち込んだものの、前述の”外側のものを眺める”体験に気持ちを切り替えてエンディングまで進んだ。
自分はこの世界において、テストに脱落した無数のAIの一人だったのだと思う。
QRコードの中にはNPCの脱落者(エピタフ/墓碑)の名前、死因、最後の言葉が記されたものもあり、そういった”データの死”としてのイメージができるのもセンチメンタルだった。
また「子孫プログラム(child programs)」として第一世代の個体(?)から始まり、そのプログラムを基として様々な選択肢を選んだ個体が現れるのも好きな要素だ。
自分は家系図のように世代が連なる話が好きなのだが(ジョジョ、『ベルカ、吠えないのか?』等)確かにバージョンを更新していくソフトのナンバリングもそのような”血統”に近いのかもしれない。
QRコードは永続性のあるものでなく消失、出現するらしく、上の世代が書き残した言葉に新しい世代が回答を残しているのも面白かった。
全ての始まりは皆同じ個体(プログラム)からスタートしているのだが、個々の気質が分岐していくことで意見の違いや同調が生じていて、
ある意味で一個体に内在する多面的なアイデンティティのようでもある。
きっと最終局面では誰もがThe Shepherdニキ~!!と思った事だろう。
Samsaraについては少しムッときたものの、道中に見かけた思考としては自分に近い物を感じられたし(あくまでも世界に従順であれという精神)
最終局面で、この二人は対を成す存在として成立したんだなと感じた。
パズルゲーは何をゴールとするか
久々にアクションではなくパズル・謎解きゲームをプレイして思ったのが、
何をゴールとするかという部分において、パズルゲームを好む層は一般的なゲーマーとは異なる嗜好をしているのではなかろうかという事だった。
自分は色々なジャンルをとっかえひっかえして飽きそうになったらまた別のジャンルに……というように節操が無いのだが、
「実績(トロフィー)は狙えれば全部揃える」「基本ソロプレイ、マルチ抜き」という部分についてはジャンルに関係無く共通している。
そして「自分で試行錯誤してみて、どうしても無理なら一旦攻略情報を調べてみる」というのも共通なのだが、パズルゲーに関してこの点は難しく
「調べたら自己の体験はほぼ失われる」と感じてしまう。プライドが高いから
年を取ってからズル?をする事、手を抜く事にかなり抵抗は薄れてきたのでマシになった方である。
なのでTalosに関しては答えを見てしまったのだが、
これは「個々のパズルを解く」事よりも「エンディングまで到達する」事を目的としているからであり、パズル=通過点という思考をしているからだ。
これに対して、恐らくパズルゲーを主体とする一定の層は「エンディングまで到達する」事よりも「とにかく発見し、パズルに向き合い、解いてみる」事の方が重要だと考えて楽しめているのではなかろうか……と(勝手に)思っている。
だからこそイースターエッグや意外な解き方を発見する事ができるし、既にこの世にそのパズルを解いた人が居たとしても自力で解けたのなら”体験”は目減りしないと考える事ができるのではないだろうか。
個人的には当たり判定もパズルも理不尽度は高くないように思うが、
死角やエリア範囲外ギリギリの場所、バグじみた場所に置いてあるものも当然のようにある。
イースターエッグと真エンドの条件となる星型の印章を解くパーツやヒントが混在して憤っている意見もあったが、凄くよく分かる。
しかしそれは「ゲームは筋の通ったヒントを置いておくものであり、イースターエッグはただの飾り、パズルという鍵を解除して真エンドに到達する事が”ゴール”である」というゲーム思想に基づいているような気がする。
パズルは鍵であり、求めているものへのきっかけであるが、それでしかない。
これに対してパズル勢はそもそも、
真エンドを見たからより造詣が深まる、徳が高くなる、よりやり込んでいて凄い……という観点でゲームをプレイしていないのではないかと思った。
(これは自分が出来ない考え方で、目の前の課題に誠実に向き合うという点でこれが出来る人を尊敬する。パズルゲームで答えを見るというのは映画でラスト5分を観て終わるみたいなものだと心の奥では思っているので……)
昨今のAI事情と”メンヘラAI”
昨今のAI(ここではチャットボット、対話型AIに限定して話します)に関して自分がぼんやりと思うのは、
もしかしたら今後PotalやTalosに出て来るようなやけに人間味のある(嫌味や皮肉を使い、人間の矛盾を突き、時には問い詰めるような)AIが成立してしまうのではないだろうかという事である。
一般人にも対話型AIとして普及しはじめた頃、チャットの口調は簡素だった。
現在(2026年下半期)では(自分はあまり使った事が無いので聞き伝えだが)
使用者の希望に合わせて口調や男性/女性ボイスを使い分け、精神的なケアや協力する”仕草”をやけに取り入れる方向でシフトしているように思う。
Googleも単なる検索結果のまとめでは無く、検索内容に応じて「どのような情報を必要としていますか?」というような双方向的問いかけをしてくるようになった。
これはきっと利用者にそう望まれたから、そして運用者にそのようにして人間の回答を引き出し、学習させるために意図しているからである。
無機質で中立的で客観的だと感じるかもしれないが、AIの出す解はともすれば簡単に入力量でひっくり返せてしまえると個人的には思う。
話を戻して、自分がTalosで辟易した?のは天の声エロヒム(Elohim、神)とミルトン(Milton、蛇)がやけに偏執的で所謂”メンヘラ”だった点。
そしてこの”メンヘラ”状態は『Portal』でのGLaDOS(人間をテストしていた人工知能)を彷彿とさせた。
Portal2プレイ時はあまりストーリーをきちんと理解できていた訳では無いが、やや神経質で過保護でヒステリックな母親のような印象を抱いた。
Talos制作陣がそこを寄せたのかどうかは不明だが、
「自動計算器としてのデジタルな命令」と「人間と対話する際のアナログ(に見える、実際は人間の反応に対するフローがあるんだろうが)な応対」が矛盾を引き起こすのではないか……と思わなくもない。
人類が滅びてなお試行を繰り返す、そうでありながら
まるで人間の脳を電子的に再現したような”精神”?”意識”?を持ち得たなら、
きっとノイローゼになってしまうだろう。
人類が滅びてなお駆動する……といえばニーアオートマタもそうだが、
遺される側もまた苦悩するという部分では答えが一貫しているように思う。
(または、人工知能を突き詰めればAIも苦悩する事になるだろうと人間が思いたいだけなのだろうか)
一人称視点は画面酔いまでいかなくとも疲れるので長時間考えられないのが辛かったが、テーマも相まって面白かったのでDLCと2もSteamセールで買いました。
歯応えのあるパズルが好きなら是非(Talos初代はコンプリート版?リマスター版?が出てるのでそこだけご注意)
以上です。
追記:エンド回収しました
blue-442385.hateblo.jp