壁打ち

感想、考察、日記、メモ等

20240112(モノづくりASMR動画の、「道具が揃っている・モノが多い・けれども清潔である」美しさと憧れ)

今日は久々に料理らしきものを作った。普段は鍋しか作らないが……

 

使い古したフライパンが焦げ付いて、あまりうまくはいかなかった。フライパン、安物で全然いいのだが買いに行くのがだるい。味は問題ないしよしとする。

(フライパンで焼いて形が崩れた時の敗北感って、一体何なんだ…と思う。)

 

 

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ASMR目的というか、「作業してるところをぼーっと眺める」目的で動画を探す時がある。料理、自作フィギュア、アクセサリーのレジン加工とか。

 

積極的に見たい!というより、何か自分の趣味のゲーム実況や音楽を追うことに疲れてしまった時に、ふとおすすめに流れてくるものを観て、いいなと思ったらリストに入れておく。

ぼんやりしたいとき、それを観る。

 

 

www.youtube.com

 

今日はこれを観た。美しい作業場で淡々と細かなパーツが変化していくのがいい。

基本的にこれは手紙に押すものではないか?とは思うが、ここまでくると存在自体に価値がある。

 

 

僕はある程度実用性が保証されていないとモノづくりができない、という拘りがある。

そして潔癖というか完璧主義なので、どうしても「一発で綺麗に」できてほしいと思ってしまう。そんなことは先駆者が傍で指導していてもできるかわからないのに。

 

そういう自分だからやってみたいと思うけれども、失望するのは幼少期のうちに分かり切っている。

こういう美しい作業系の動画は、うまくできなかった自分を慰めてくれる。

 

 

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実用性。

こういう動画で作られるものは、まあ料理なら食べられるが、だいたいは一人前じゃなくパーティーサイズのものを作って、それを一人前に切り分けるところまでが美しいのだと思う。

僕は一人暮らしなので、たとえ素晴らしいものができたとしてもその後のことを考えてしまう。

(特に「食材を」「自分が」無駄にする行為に生理的な恐怖感があるし)

 

 

たまに猛烈な「造形欲」に駆られて粘土を買ったりフィギュアづくりのための道具を見たりもするが、それも「置く場所」あるいは「処分方法」を考えた上での作業になってしまう。

実家には小中学生の時に樹脂粘土で作った3cm位のサイズの、ゲームや漫画のキャラクターのフィギュア的なものが保管してある(はずだ。捨てていなければ)。

大きいものも作りたいし、小さいものでもいい。

けれども僕は一人暮らしを始めた時に「できるだけモノを増やさない」ことを誓ったのだった。

 

 

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自分の好きなものに囲まれるのは嬉しいことだが、掃除機はガツガツとはかけづらくなるし、空気が滞留してカビが生えたりする。

一人暮らしの部屋、換気のついたカビ一つない(その代わり冬は体調に異常が現れるほど乾燥するし、夏は灼熱の太陽で焼かれる)部屋を知ってしまったからには耐え難い。

 

 

僕の実家の部屋は北向き?で、場所柄湿度が高かった。

換気設備をつけると寒いため、空気の流れを犠牲にして部屋の暖かさを選んだ。

 

だから僕の描いた絵も漫画のコレクションも家具の表面も、カビや湿気を伴った埃に覆われた。部屋のものが自然とカビていくことは、自分の世界では仕方のない自然現象だった。

 

掃除をすればいい。でも家族の中で暮らしていた頃の僕はガキんちょで、

「自力で黙って何とかする」根気や勇気がなかった。

 

 

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料理でも造形でも、結局僕は取り返しのつかないことが怖いのだ。

別に作業に満足すれば捨ててしまってもいいや、という態度で臨むこともできる。

 

しかし、できあがったものを「捨てる」ことの罪悪感を感じてしまう気がする。先述した、自分が食材を無駄にする行為への恐怖に近い。

それに結局捨ててしまうなら、はじめから存在しないのと一緒では?と虚しくなる。虚しさの中で作業をするだろうか。

……

 

 

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だから、上手な人がそういう作業を、

特殊な道具を揃えて(道具を揃えたのにやらなかった、も僕のよくある失敗だ)活用して、一つのものを作り上げるのを美しいと感じる。

作業台はいつもきれいに片付いていて清潔である。寝食の介入する場所がないアトリエのような場所。

 

 

それらの動画がマーケティングや商売に繋げるためであったり、承認欲求のためだったり、実情に伴わない(例えば、作業中は机が汚れるものなのにピカピカなのは「見せるための演出」だとか)としても、

 

ここまで技術と手間と費用と時間を投じて「世界観」を作り上げていること自体が僕にとっては手の届かない偉業で、尊敬する。

 

中途半端に絵を描いたりものづくりしたり、適当な飯を食ったり、動画をちまちま切り貼りするような半端者だから、それに圧倒される。

 

 

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ASMRって、静かに作業する音声や様子を疑似体験するのが主な目的だけれども、

そういう「自分にはとてもできなかったこと」をやってみせてくれることで、できなかった自己体験のわだかまりを解く意味での癒しもあるのかもしれないと思った。

 

 

 

 

 

 

最近は世間的にも個人のささやかなレベルでも、ざわざわとしてぶつかったりぶつかられたりして視野が狭まっている。

癒されたい。

そんな感じです。

 

アルセウス図鑑研究ポイント:85440pt