最近よく聞く曲。
・【syudou】やっちゃったわ
・人マニア / 原口沙輔 - 月ノ美兎withブラクラーズ(cover)
・なんだか眠そうですね / 弌誠:MUSIC VIDEO
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こういうタイプのクズ男になれるほどイケメン人たらしには生まれなかったので、マジで対極だ(容姿も気質も)。
ユニクロ一式で十分キマッてるファッションに見えるような感じの男だと思う。
(個人的には、流行りを入れつつ規定サイズを量産する大手メーカーの定番サイズ服に体格が合う人はその時点で”素質”があると思う。)
ふかす煙草の種類が一緒が
理由だろうな嗚呼
→昨晩の記憶は一切ないが自分の思考パターンを理解しているので、煙草欲しさに近づいたんだろうなということだけは気づいてしまう。
そしてシンプルに衝動的な感情に弱い快楽主義者ではなく、そういう自分の狡猾さを理解してしまっている。行動パターンまでは把握できるのに、そういう人でなしみたいな行動が辞められないんだな&それも仕方がないんだな(治療不可能)って悟っている。
全てが自業自得なのに、それに嫌気を感じる。
(ということですか?)
syudouさんの曲はメロディーラインが好きではあるが、なんとなくそういう人間のタイプの違いみたいな、コンプレックスを突いてくる(と自意識過剰なので勝手に感じてしまう)感じでたまに聴くくらいだった。
ただ、他の曲にも織り込まれているような厭世観がより具体的で、かつ自分と対極のキャラクター像が描かれている所がなんとなく惹かれるんだろうか。
「演じる」ということについて最近書いたが ↓
ここまで離れていると「そういう役の人間」としてある意味切り分けができて、抵抗感が減って曲をとらえることができるのかもしれない。
傍から見れば勝ち組っぽいのに、語られない胸の内に仄暗いものを抱えているのかもしれないという部分。
逆に言うと、僕なんかだと厭世観しか共通点なんてないんですが。
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流行ってるな~と眺めていた曲。を委員長がカバーしたやつ。
原曲もボーカロイド向きの音楽・SEっぽいところとか好きです。
この曲いろんな方が歌ってるんですが、そうだからか「見られている側の人間(エンターテイナー)」のことを歌った曲なのかなと解釈してしまう。
特に現代の、SNSやインターネットコンテンツに載るようなタイプの。
子達の前で 着ぐるみを脱ぐ
『な~~んだ?』
A. 私
恋人の前で 血まみれになる
『な~~んだ?』
A. お前
→言葉を鵜呑みにしちゃってる大衆に、ある程度安心させたところで突如として残酷な事実を突きつける。
→推し活とかなんだとか言いつつ、自分を慰めてほしい癒してほしいというお前ら(消費側)の意趣返し。
ただエンターテイナーでありながら、お客さんでお友達なお前らを見下しちゃってる「全毒」(自分の業)は、すまんねと背負って生きていく。
みんなのお人形になったり完全に偶像化して悪意を抱かない聖人になったり、そういう手を汚さない「ポリエステル仕事」はムリだから。
というより「ムリか」という挫折があるのかもしれない、「小さくなってく」器も元々はもう少し大きくて、夢とかも抱いていてたのかもしれないけど。
(ということですか?)
僕が”人気者”でないのは無論。
参考になるのかならんのかわからんゲーム攻略と自分語りと愚痴しか書かないんだから。僕は僕で全く別のしょうもない業を背負っているが。
この曲が好きなのは中毒性と、現代の業(特にX(旧twitter)の蠱毒)みたいなものを歌ってるから、そうね。と思いやすいのかもしれない。
釣られる側の自覚もあるし、悪意側の自覚もある。最近は特に。
環境に染められるのは間違いないのであんまり毒の中にいちゃいけないんだろうけど、多分毒の中でしか生きられないんだろうねみたいな。
ということで立場上は全然別なんですが、汚らわしさみたいな所に注目してるので自分と乖離があるとはあまり感じない。が、人前でこの曲好きとかいうのはなんか図々しいかなと思ってしまう。
勝者の曲。
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おすすめに流れてきたのかな多分。
アニメーションの少女?が好みで……曲は最初のうちは難解だなと思ってた。
でもなんとなく数日後にふと思い出してまた聴きに行ったり。何回も聴くうちに理解……はできていないのだが、曲のノリかたというか捉え方みたいなのが分かってくる曲。そういう感じです。
聴いたときの心理状態と上手くマッチしてないと良さまで拾いきれないことがあるから、もう一度聴き直してよかった。
この頃はね 慎重にね 暖めてね
多分女の子なんだろうなと思う。こういうことを言われるのは。
したことのない あなたの香り
主語のない歌詞が続いてすごく難しいのだけれど、
多分奥手の主人公(歌詞の一人称)と少女の、恋にも友情にもならない関係性みたいな……ふわふわとしたことしか読み取れないけれども。
距離はひどく遠くはないはずなのに香りがしない、というのはいつまでもどういう関係にも至ることのできない状態なのかなと思う。
この曲は(ということですか?)という地点にすら辿り着けない。
なんかこの、曲全体の煮え切らない感じは自分と近い気がするのに、何度聴いても自分の中に取り込めない部分がある曲もある。
友達に「この曲好きそうだよね」とおすすめされた曲の、たしかに自分が好きそうなんだけど掴みどころのない部分に躊躇することとかないですか。そういう……。
この曲は上記の二曲とは逆に、「自分に近そう」なのに「決定的に(聴く側の僕が)欠けている何かがあって、自分には永遠に理解できない部分」があって、
この曲好き!と思っていても他者にはどんな曲か説明ができないような状態だから、胸を張ってられないみたいな。
自分がやんわりと突き放されている…とまでは言わないけど、絶対に知りえない何かがあって隔絶されている感じがずっとあります。
(勿論理由があろうがなかろうがどんな曲も好きだ嫌いだは言っていいし(誹謗中傷でない限り)、理由や解釈を説明できる方が偉いわけではない。
その辺りは僕自身が完璧主義で、理解しなければ好きと言ってはいけないのではという恐怖症みたいなものなので、皆さんは気にしないでください。)
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全然自分と違うタイプの人間を描いた曲にハマったり、好きだと言うことに何か恥ずかしさだったり恐怖感だったり、笑われるかもしれないからかわれるかもしれないという不安感がある。
お前がこれを?という、「身分不相応で図々しい奴だ」という目で見られるんじゃないかな。とイメージしてしまう。
人間が嫌いだと言っておきながらラブソングを?悲哀を?情の美しさを?
それは僕が音楽やその他媒体問わず、作品を「自分からどれくらい遠いものか」計って見ているということも暗示している。近ければ好き/遠ければ嫌い、という単純なものではないようだが。
ただ「近いと安心して見ていられる」のは事実だと思う。その登場人物達の思考のクセや、その世界観での物事の作用機序が自分の予測範囲内である場合が多いから。
まあ、結局はコンプレックスの話なだけなのかもしれない。
以上です。
アルセウス図鑑研究ポイント:89220pt