twitterで見かけた曲。
ボカコレ……存在までは知っていたけれども、全体を通して聴いてみるとかしたことはなく。
現行開催中のイベント?なんですね。
なんとなく好きそうだな、という感じで聴いてみて、
でもただ好みのタイプの「よくある曲」だけで終わらずにいくつか引っかかるフレーズがあったので書いてみます。
※あくまでも個人の解釈です。もし勘違いだったらすみません
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やったー やったー
辞めてやった
サビのフレーズ。
「何を」辞めたのかは書かれていなくて、
学校や仕事、終盤にかけては人生そのものなんだろうなと思います。その辺りは聴き手側の境遇にもよる
サビでは歩いてる心臓くん(仮称)がいます。
最初は曲に合わせて一拍一拍ゆっくり歩いているのが、終盤はひび割れて早足になっている。(細かく取り上げると、カフェイン系の薬物は心拍数が早くなる。ストレス性の高血圧や頻脈とか。そういう感じかもしれません)
心臓が一生に打つ拍数は決まっている、とか俗説(多分)もありますね。破滅に足早に向かっている感じ。
心音っぽい音は前奏ではっきり、曲中にも所々使われてます。
言い換えると「使われてない所」もあります。
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三年前に買ってた新作のゲーム (中略) やってみたら三時間で飽きた
主人公は過去に(社会的立場によって)犠牲にしてきた趣味とかを取り戻そうとするんだけど、体だけでなく頭の回転や集中力がついていかない。
鬱病の症状あるあるですが
なので「勉強や仕事をした後の趣味こそが楽しい(=辞めた後の趣味は楽しくない)のだ」とかではない(と思います)。
(感覚的にこの思考が「分からない、理解できない」人たちもたくさんいるし、できれば知らない方がいい世界だと思います。
僕含め知ってしまった皆さんは誤魔化しながらやっている感じだと思いますが)
「話題になってた漫画」や「かわいいあの子が泣いてる理由」も、自分の好きなことは全て後回しにしてきたので昔のコンテンツが積みあがってて。
推しがいたとしても追いきれなくて状況がわからなくて、コメ欄も蚊帳の外で。
「分かんないから分かんない」は不思議な文章に見えますが
「(最新の背景情報が入ってきてないから)分かんないから(あの子が泣いてる理由が)分かんない」かなとも思うし、
他者の感情が理解できなくなってる、とも解釈できるかもしれない。
ココロやカラダだけでなく
コンテンツそのものを追う行為自体、という意味でも手遅れなんですよね。
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間奏のセーブ中は「心身の回復期間」だったかもしれないけど、
そのままスリープモードに移行している(現状の放置)のはセルフネグレクト的にも見えます。
「なにしてねむろうかな」(不眠)になるのも、社会で生きる苦痛から解放されたことよる安息より、
段々と平坦に日々が過ぎる疎外感、閉塞感が勝ってしまうことによる不眠かもしれない。
スリープモードって、眠っているようでいつでも起動できるようにバッググラウンドで処理が待機してることなので
もし人間に当てはめるなら休まらないだろう……というジレンマがあります。
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枕の裏がわ裏返したら
カビ生えた 黒カビだった
細かいようですが、一番が黒カビで二番が白カビになる。
主人公も黒カビの時点では引いてるけど白カビの時にはもう何も感じない、という風に変化してます。
白→黒の方が視覚的にはエグさがグレードアップしているような、死=黒という方向性に病み歌詞のパターン的には持っていきがちだと感じるんですけど、
黒(腐敗)→白(白骨化)
ひいては中途半端な「終わってる」状態から完全な「終わり」に向かっている感が出てる気がする。
死の純度が高まるというか……
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窓の外に見えている
あの子は大きくなってしまったね
一番の「どうにもならない」の所の映像では窓に自分の姿が映っていて、現実の自分をチラ見しています。かわいい
二番では窓を閉めてしまうので見えません。
初見のうちは近所の子(健全な社会)を眺めているイメージでしたが、聴いているうちにそうかな?と思いはじめて
「あの子」は社会的な視点、客観視できる視点を持った内省的な自分の一部なのではとも思いました。自信ないですが
辞めた上でさてどうしようというか「自分はこれから具体的にどうするつもりなのか?何か追い詰められて動きだしたりするだろうか」
と俯瞰的に、他人事のように観察している自分がいる。
それは焦燥感とかになって、社会復帰のエネルギーに繋がればそれはそれでいいんですけど
日数が過ぎていくにつれ社会性(あの子)というのがどんどんハードルの高いものに感じてきて、
ただゴミ捨てに外に出るとかもできないようになったりする。こんな姿じゃ外の世界に出られないという思考に陥ってしまうというか
二番のように、そのうち現状に慣れてしまうとそういう客観視(あの子)は消えてしまうと個人的には思います。
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ぼさぼさ髪の毛抜け落ちちゃったら
どうにもならない どーしよ
髪の毛って人体としては生え続けるものだし、生活が崩壊していく過程では整えられた髪がぐしゃぐしゃに伸びるみたいな描写も多い。
ストレスで髪が抜けるというのもあるので一概には言えないけど。
髪の毛が抜け落ちた→どうにもならない(もう生えない)というのは
既に肉体が代謝しない状態になっている=死んでいる、ということなのかも…しれない。
聴きながら感じていた引っかかり、違和感というのがこのあたりで
この曲は「辞めた」直後から死までを辿った曲なんだろうか?という点です。
つまり本当は一番の冒頭の時点で、実は既に死んでしまっていて、
本人がそれに気づいていないという気もします。
ラストカットの主人公(ドット絵じゃない姿)が現実で、ドット絵の部分は夢か幻覚をみているような感じで。
そう考えてみると冒頭からいきなり「辞めてやった」のも、生を辞めてやったという意味にもとれるし
(でもそうなると己の死を自覚していることになるので……??)
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この曲自体が観察日記のような、
九相図(人の死直後~白骨化して灰になるまでを描いた仏教画)にも似ている感じがします。辞める理由は人それぞれあれど、諸行無常。
タイトル『人生のなつやすみ』は休職する時とかによく出てくる(一般化してる?)フレーズですが、
そういう儚いひと夏の生き物の記録という感じがして好きです。
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サビのバックコーラスで歌詞っぽいのが聴こえるのですが聞き取れませんでした……今はまだ新曲なので、そのうち歌詞一括で公開されるでしょうか。
(ボカコレの作法を知らないのですが……
さすがに歌詞まるまる掲載するのはダメでしょうということで載せてません。適切な程度を心掛けましたが、作曲者じゃないのに引用とか説明多すぎであればすみません)
この曲、なんか聴いてしまうなって人がきっといると思うのでそういう人が巡り合えたらいいなと勝手ながら思います。
意味の押し付けになってたらすみません。
好きです。
そんな感じです。