のゲーム。
ウスイ兄貴のRTA動画を眺めていたところ、そんなものがあったと知る。
(元々ウスイ兄貴自身がつげ義春作品を愛好しているのは知っていたけど)
僕個人は大学生辺りに”ガロ系”と評される作品を色々読んでいたり(西岡兄妹、ねこぢる、福満しげゆき等)、好きな絵描きの方がつげ義春作品のファンだったこともあり名前を知っていて、
たまたま大学に文庫?の作品集があったので「ねじ式」「紅い花」を読んだ記憶がある。
上記の超有名作品以外に、一緒に掲載されていた作品も一通り目を通したはずだが記憶はない。物語にはっきり起承転結がある感じでもなく、哲学的というか「ある地方の生々しさが漂う日常」というか。
多分大学生当時は理解どころか、自分の中で要約して記憶することもできなかったんだと思う。多分今読んでも理解できるかは怪しい。
それでもなんとなく惹かれてしまうところはあり、浅野忠信がまだ青年だった頃に主演していた映画『ねじ式(1998)』とかを観たりしていた。
浅野さん、青年時代はこんな……ボーとした役もやってたんだ、と思った記憶。
この映画も上記に紹介したゲームも、作品そのものを別媒体にまるまる落とし込むのはあまりに難解で「原作らしさ」「(映画/ゲーム)らしさ」両方を潰してしまうので、
原作をリスペクトした制作陣が短編を繋ぎ合わせるようにして、雰囲気を寄せて一本の筋書きをつくったのだと思う。
勿論制作が異なるので、作品の繋ぎ方や登場人物をどこでどう出してくるか、要所のカットをどう差し込むかが異なっているので面白かった。
(映画の方はたしか大学在学中くらいに観た気がするので、だいぶ記憶が曖昧だけども……)
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ゲームの方のストーリーは、とある主人公(作品中の一人)が夢の中を彷徨っていたら、自分の分身?瓜二つな人物に会ってしまう、そしてそれは命が尽きる前触れだったというオチ。
夢や妄想に囚われた主人公が自然と破滅への道をたどっていた……というのは割とある話(観た人の腑に落ちやすいといういい意味)で、
かつ道中の現実と夢、過去と未来が曖昧になっているのも「らしさ」なんだと思う。
僕は原作の有名な部分だけつまみ食いして投げ出してしまったようなものなので、
(あくまでも原作とは違うという前提はありつつ)他媒体を通じて雰囲気やエッセンスを受け取ることができるのは不思議でありがたいことだと思う。
自分では見られなかった視点が開拓される感じ。
(例えば、知らない作品だけれども知人の熱心な解説を聞いて、事前にイメージを掴むような。悪く言えば100%ピュアな「自己と作品一対一の理解」ではないけれども、全く触れずに通り過ぎてしまうよりはいいことだと個人的には思う。)
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また原作の作品集を読みたいなと思った。
ただガロ系作品というのはその日の体調によって、読むとこの世の全てが嫌になる場合があるので、どこかいい時期を見計らってだけれども。
ウスイ兄貴、RTA動画ありがとうございます。(再現環境が厳しいゲームの映像は総じて貴重なので……)
以上です。