壁打ち

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ゲーム『Narita Boy』感想

ゲーム『Narita Boy』全実績コンプした。

2周(正確には取得漏れしてパアになった回があったので2.5周)で一通り世界観がわかった感じです。

※ネタバレを含みます。

 

 

システム、戦闘

全体的にレトロフューチャーなのは表面だけではないと感じた、よくもわるくも……

人の生き様に対してもレトロゲー史的にも「過去の時代」へのリスペクトというのがテーマにあったんじゃないかと思う。

 


オートセーブとあるがちょっと昔のゲームっぽい仕様というか、SFCくらいのゲームでこういう感じのがあった気がする(曖昧な記憶で喋っています)。

一定の区画までをセーブポイントとしてる感じで、セーブされる場所が制限されている(だいたい戦闘直後やエリア移動)。

 

セーブデータを別スロットにコピーできればよかったがそういう仕様ではないので、取得漏れすると辛い(実績を狙うなら)。別にサブイベントや複数分岐がたくさんある訳ではないのでまだいいが……

 


プレイヤーの創意工夫で進んでいくというよりは、順路に従う感じの印象が強かった。プレイヤーの工夫は戦闘シーンで「有効な技は何か?」と考えることくらい

 

マップは無い&キーアイテム取得まで往復したりするので、「あそこに行きたいけど道を忘れた」とか、鍵のかかった扉そのものを忘れたとかがたまにあり……ポータルに3つのシンボルを入力するのも道中のヒントを記憶しておく必要があるので、記憶力が試される。

 

馬、サーフボード、三色のお助けマン達が活躍できる場所が少なかったのがちょっともったいなかったな~と個人的には思った。
特にお助けマンは回復と共用のエネルギーなので、回復優先するとほぼ出番は。。。上級者なら時短攻略できるかなというくらいです。

 

 

音楽が結構好きです。ポップンとかの8bit系とか好きなので……
テクノ歌謡というか一種のチープさも含まれてるのがいい。

www.youtube.com

 

公式OSTありがたい……

 

 

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基本は攻撃しまくってゲージを溜めまくり、合間に回復という感じ。
死にながら敵のパターンを覚えて、できるだけ攻撃に当たらないで、攻撃回数を増やす方法を探る。
この苦行感がまた、レトロなハードボイルドみがあり……

 

 

ボス体力を右下の心臓で表示するのがカッコよくてすごく好きですが、心臓アイコンの変化が乏しい&サイズが小さいので、じっくり見てもいられないのが惜しかった。

かといってこれ以上大きくすると邪魔になるので難しい。色変えとか……?


(そういえば昔のSFCとかのボス、ダメージが蓄積すると全身がピンクになるやつが多かった気がする。
多分ダメージとしての血の赤や炎症のイメージなんだろうけど、当時の技術的な限界なのかマゼンタ寄りなので「ボスがピンクになると弱ってる」という謎の文脈があった。
今では失われた文脈って感じが……)

 

 

辛かったのは赤エリアの電車道中、グローブ(球体っぽい椅子に座ってる乗っ取られたやつ)とラスボス(HIM)。


ダメージが通ってるのかがわかりづらいし、けっこう硬い。いつ終わるのかという感じがもまた、レトロアクション特有というかリスペクトを感じるのですが…

他は試行回数を重ねればいけると思う。簡単ではない(レトロゲー並感)

 

 

 

ストーリー感想・考察

ゲーム内のストーリーはコードがソースがどうこう……というのがちょっとわかりづらかったけど、並行してクリエイターの記憶が進んでいくのでなんとなく対応しているんだな~というのが分かりやすくてよかった。

(僕は文系です。簡単なマクロをレシピ通りに組むみたいな、ちょい触り)

多分詳しい人が見たら面白いプログラミング・ジョークとかもあると思われます。

 

世界の全貌が見えないままあちこちを旅していく1周目もいいですが、2周目だと初見では気づけなかった・頭に入ってこなかった情報がちらほらあり楽しかった。

 

プレイ中ちょっと身構えてたんだけれど、マザーボードは最期まで裏切らなかったですね。(クリエイターの母親に対する気持ちを考えれば当然とも思う)

2周目で気づきましたが、マザーボードは最初に自我を得たと言っており、おそらくクリエイターの脳内の母の記憶ではないかと思いました。

ナリタボーイの構想より前とも言ってたので、ゲームありきで生まれたキャラクターではないということ。

 

 

クリエイターの記憶トーテム以外でも、エリアの細部に彼の記憶が混ざり合ってるのが「雰囲気」だけじゃなく、すごく作り込まれてると感じた。とても全て見つけられる自信はないけれど……

 

例えばここは序盤にある場所なんですが、「戻ってきてくれ!」という台詞が出てきます。

そして(上の画像では暗い画面になってますが)四角い枠が音声に合わせて動きます。

1周目ではただそれだけの印象なんですが、

 

実は中盤(ブルーエリア)に出てくる「井戸?の下に向かって母を呼ぶ子ども」の音声と同じだったりします。

「おかーさーん」という感じに聞こえる(この音声は他の場所でも聞けたかも?)

 

こういうのに気づくと、おっ!てなりますね。

 

 

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『Narita Boy』は単に「ゲーマーが作った懐かしのゲーム」というより、
「個人的な人生のイベントやそこで生じた楽しさや苦しみを土台として、自分の好きなもので構成し組み上げて、ゲームとして表現した作品」という印象です。


ゲームクリエイター(メインディレクターというのか?)や映画監督や漫画家って、色々な要素についてある程度習熟しておかなければならない存在だと個人的には思う。

ゲームならシステム構成や難易度だけでなく、視覚的印象やデザイン、メインテーマとしての音楽とBGMの切り分け、それら全体のバランス感とか色々考えられる人じゃないと作れない(勿論分担はしてるだろうけど)。

 

ナリタボーイは作り手のイメージがはっきりしていて、「作品」としての統一感があってよかった。そういう作者個人の匂いがする作品が僕は好きなので。

(前の日記にも書きましたが、Eduardo Fornieles氏の構想したゲームを作るため結成したチームで制作したそうです。)

 

 

最初は一般家庭の「ゲーム好きな子ども」に見えたのが、実は「唯一無二の、クリエイター自身の息子」だったという展開もよかった。

自分の父も自分も、父親としてうまくいかなかったというのもなんか絶妙にリアルで…(経緯とかはイコールではない所も含めて)

 

プレイヤーとしては最初「クリエイターのおっさんの人生を見せつけられているナァ……??」という感じだったけど、

ゲームをしていた少年こそが彼の息子だとわかった終盤に「ああ、これは息子が父親の(多分語らなかったであろう)過去を知る話だったんだ」と腑に落ちるというか。

 


ナリタボーイがなんとなく無口で感情が読み取れないのが好きです(個人的に、そういう主人公が好きだから)。
彼自身が道中「物語の聞き手」だからというのもあるけど、そういう聞き手としての素質も含めて息子の力なのかなと思った。

 


(「子どもが持っている力に託す」ことについての素晴らしさが制作者のベースにあるんだと思う。

僕個人はそういう、子どもに期待するみたいなものの良し悪しは知らんけど

 

毒親というものが最近は大きく取り上げられているけれど、それは「成功した事例」まで否定するものではなく、やはりケースバイケースというか……

人間関係でもダイエットでも生活習慣でも病気の治療でも「これがよかった」というのは、あくまで「その環境下」で「その人物」と「その周囲の人々」によってだったり、体質や遺伝とか持って生まれたものを含んでいたりするし。


僕はたまに不安になって自分の死生観や日常的な癖・習慣について「改善すべきものか」を調べてみるけど、結局それが自分にとってヒットするものなのかはわからない。)

 

……話が逸れたけど、

子どもをもったことがある人の中に、自分の人生で「子どもに助けられた、命を救われた」と思った人がいる、というのに改めて気付かされた(ゲーム自体はフィクションだけれども)。

「自分と似た特性を持ちながら自分ではない人間」だからこそ、理解しうる場所や到達しうる場所もあるだろうなとは思う。

 

舞台は80年代で、制作者が子どものころの時代。

スペイン出身の方だそうですが、日本に住んでいただけではなく何かルーツがあったりするんだろうか、近親の方々の記憶も混ざっているのかなと思いました。憶測だけど

「きのこ入りの焼きうどん」というフレーズ、なかなか出てこないよなあ…そういう本当の話なのではないか、と思ってしまうような場面も多かったので。

 

 

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続編ありそうな終わり方ではあったけれど、この一本でも十分成立していると思った。

 

「最終的にHIMやスタリオン込みで世界の均衡を保つことになるだろう、それまでに悪意は何度も攻め入ってくるけれども、その度に三色がバランスを保つように努めていくしかないのだ」という風になるのでは……というのが個人的な予測。

 

ボス及び悪の組織を撃破して終わるというのは絶対悪的な考え方で、ゲームという「何かを打ち倒したり、ゴールしたりして遊ぶ」構造と絶対悪は相性がいいのですが、

制作者は相対悪的な考え方なのではと思います、個人的には。

 

母が手を合わせて拝むシーンからホログラム起動(主にマザープログラムの呼び出し)のモーションが採用されていたり、テレポートや記憶解放時の座禅のようなポーズから、調和をメインとした精神性が重視されている点からみても。

 

 

他のコードが生まれたのと同じように、HIMやスタリオンもまたクリエイター自身を根源としているし、

そうなると敵と味方は由来を同じくした存在で、ただ配役というか、正負や陰陽のように対にならざるを得ない、この作品では三つの要素がどれも欠けずに揃っているからこそ世界として構築され得るのだと思う。

 

作中で「HIMはデータダンプ担当だった」という旨の話がされていて、つまりマイナスな記憶や生々しい感情に一番近かったのではないかと思う。

そうなると彼がマイナスの感情に囚われて悪役を演じることになったのも、他のプログラム達がそういった混乱に陥る状況を回避する助けになっていたともとれる……んじゃないだろうか。

 

 

 

 

そんな感じでした。

 

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