壁打ち

感想、考察、日記、メモ等

20231203(他人のきせかえ人形になる)

※愚痴に近いというか、愚痴です。

 

 

飲み会があった。

自分が別の世代とも同世代とも隔絶していると、改めて思い知らされた。

 

(しかし、いい表現でいえば「仲間」わるい表現でいえば「同類」だ、と感じる人間も世の中にはたくさんいる。多分。)

 

 

この世に絶望していない、というか、

自分の趣味が明確で他人にもオープンで(それが仮のものである可能性もあるが)、将来を見越したり周囲の人間がどのように動くか予見できている、

と自ら信じている人が、

こんな時代においてなお結構いるんだなと思った。

 

(僕はそんな人々の過去や歴史を知らないから、そう感じるんだろうか)

 

======

時に、僕(他人)の人生すら自分の人生の舞台装置に見立てている彼は、

人生には希望があると歌い上げるような雰囲気の人だ。

 

仮面で全面的に武装して部屋を出る僕とは対照的な存在に思う。

 

 

(ところで、この文章を読んで「(僕/彼が)自分のことかもしれない」と思うが思うまいが、あなたは自由だ。

たとえあなたがそういう人であっても、僕自身はなにも言う権利などない。)

 

 

僕は家族や友人の人生の脇役であるのも、できるだけ大切な人には誠実に接するのも

(僕の考える「誠実」が正しいのかは分からないけど)

苦痛ではないし、自分の存在意義であると思っている。役目を果たす。

 

 

ただきせかえ人形のように、他人にライフプランを勝手に見立てられるのは好きじゃない。

歳を取れば「こういうタイプはこうくるだろう」という見立てが補強されていくのは分かるし、僕も既に既存の価値観に囚われている所があるので人のことは言えないが。

 

彼の世界はきっと「想定内のこと」と「想定外だが、なんとか乗り越えたこと」に満ちているのだろう。

 

 

======

例えば完全に信頼しきっている相手に対して、凶器を突然向けてみたらこの人はどういう反応をするだろう、と思ってみたりする。

当然そんなことは実行しない。する必要がないし、後々面倒だし、倫理的によくないであろうから。

 

「凶器」と言うからテロのように突拍子もなく無秩序に聞こえるが、仕事やプライベートで示威行為として声を荒げるとか、そういうのと意味するところは同じだ。

 

 

(他人に肉体的危害を加えることと、ちょっとした「躾(見せしめ)」を行うのは別問題だ、と言われるかもしれないが。

 

僕は基本的に一つの問題に対して「白黒思考」か「完全グレー、ケースバイケース」のどちらかを選ぶ癖がある。完全にグレーという語彙は矛盾しているが「完全に決着がつかないから判定のしようがない」というニュアンスだ。

 

ここでいうと「凶器を振りかざすこと」と「躾を行うこと」は程度の差こそあれほぼ同義だ、という白黒思考だろう。勿論社会通念上は同義ではないのは承知の上で。)

 

 

======

聞き流せばいいのだろう。実際僕も彼も、物事を自分の世界観でしか捉えられない。

(それは視野が狭いとかいう訳ではなく、人間は自分以外の視野を体験し得ない、という意味。)

 

しかし、多分彼や彼のような人間が「正史」で、僕のようなのは剪定され捕食される側なのだろうな、と思う。自分の正当性などどこにも無い。

生存バイアス。

 

 

それはもう十分わかったから、こんな歳まで生き延びれば嫌でもわかるのだから、もう舞台上には無理矢理引き上げてくれなくていいよ、と思ってしまう。

あなたの人生譚に名前など連ねたくないとも。

 

 

======

結局、前の居場所もそういう人物に嫌気がさして捨ててきたわけだし。

僕がなぜこんな場所でこんな立場にいるのか、そこまで暗い想定はできないらしい。

彼が知る必要は別にないが、放っておいてほしい。

 

 

もうそろそろ潮時かな、とカウントダウンを始めつつある。

今の場所や生活リズムは割と好きなのだけれど、

僕は永遠に満ち引きを繰り返して、居場所を捨てることしかできないのかもしれない。

 

理解を促したり説得するような言葉は、僕は持ち合わせていない。

この数十年で「黙って去る」ことが最適解で、僕の生き残る方法だと思い知ったから。

 

 

(人間なら言葉で気持ちを表せ、だろうか。

僕は言葉の使い方がおかしいらしく、僕の感じたことを伝えても、僕の思うように受け取ってもらえたことはあまりなかった。逆上されたり、誤解されて敬遠されたり。

でもそれが人間の正しい反応なのかもしれない。

 

だから翻って、僕は人間ではないのだ。

人間の僕は幼少時に多分死んでしまって、別の生命体が乗り込んでしまった。

 

人間だった頃を「懐かしく」感じることはなく、ただ事実としての「情報」としてしか認識していない。

過去への生々しい感情はマイナスなものしか残っておらず、

「悲しみ」「復讐」などは人間らしく振る舞う仮面のために、生存のために存在しているのだろう。

 

それが僕が生まれて学んできた「人間性」だと思う。

 

言葉など生存の役には立たない。かつて生きていた人間の僕と人でない今の僕を救ってくれなかったから。)

 

黙することしかできない。

 

 

 

 

 

 

『泥人形』92年作。という感じ。

以上です。