壁打ち

感想、考察、日記、メモ等

20230809(ニュートラルな時間、北野映画の親子)

やっと、ハイでも抑鬱でもなく「ニュートラルな時間」がやってきた(7月27日あたりの日記から前回までは、抑鬱的と思われる期間)。

 

こういう正気に戻った時に、今まで悩んでいたこととか、今途中にしているものの取捨選択とかをする。

できるだけ平常な期間が長く続けばいいと願っている。

 

 

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僕が最近悩んでいた、というかとりつかれていたのは

「子は親の付属物であること、自分はそれに準ずることができていたか」等親子関係の話と、

「だらだらと生きながらえることに意味はあるか、なぜ自分には”ただ生きる”ことができないのか」等将来への価値に関することだった。

 

 

特に抑鬱的な時、こうやって一生思い悩む姿が本来の自分で、元気な時やニュートラルな時の自分が異常状態なのではないか、

⇒ではこの「存在するだけで苦痛しかないのを、緩和し続けて生きる」形でしか生きていけない(死なずにあり続けられない)のか。

と思ってしまう。

 

 

しかしニュートラルになると、「自分の根底にある価値観」と「その日の気分」は別物であるという、二者の境界線がはっきりと見えてくる。

 

後者についての今の状態の答えとしては、「生まれてしまった以上、寿命が尽きる(その時が来る)まで死ねない」という一言に尽きる。

前者に対しては、下記のとおり……

※べき論とかではないです、念の為。

 

 

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「子は親の付属物であること」については、直近の記事でわずかに触れていた。

blue-442385.hateblo.jp

 

菊次郎の夏』以外に印象的だったのは、『アキレスと亀』での親子関係、特に死んだ娘と対面するシーンだと思う。

大学生の時に観て内容自体の記憶はおぼろげだけれど、子どもであってもここまで愛されないものなのか、と少しショックだった。

虐待とかそういう明確な攻撃の形ではなく、ただ親にとっての「子」の役割をあてられただけの存在、という所に。

 

ただそれで娘の遺体を見た父母は何を思うのか、というのはやはり人それぞれで、そこで慟哭しないのは人間じゃないとは言い切れないんだと思う、今考えてみると。

 

他にも北野映画で描かれる親子関係は、どこか破綻していると思う、dollsとか。

親の人生のために生まれた息子(まあ息子も、どこかボンヤリと自分の人生含め無責任そうな、隠れクズ男的な存在だけれども……)。

 

 

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僕自身は子どもを持つつもりがない(将来の過酷な日本で、自分の子どもを幸せにできる心身の余裕、人間関係(を僕が親として保ち続けること)、経済力等々を持たないから。それなら生まれない方が、不幸にさせない方がその子のためになると思ってしまう)。

 

あくまでも僕の人生に係る考えだから、それはそれとして今の環境で家族を築き子育てをしている人たちはすごいとも感じている。

将来的に年老いて、彼ら彼女らにお世話になる機会があるかもしれないと思うと申し訳ない気持ちにもなる。

 

 

結局「子は親の付属物である」のか、については、僕はそうだと思う。

しかし僕自身はそのことに悲観的な感情はなく、そういう先人のエゴイズムがあるからこそ下の世代が結果的に生まれてくると思っている。

 

昔から「誕生日には感謝を述べなさい」「産み育ててくれた両親に敬意を示しなさい」と学校等で言われることが恐怖だった(僕の親はそんなことは言わない、だいたいは一部の教師と「道徳の教科書」的書籍)。

生まれた時から自分は親に「借り」があり、一生をかけて償いをするものなのかという感覚にとらわれた。

 

また、生まれた時は大変だった等の話を聞いたとき、

母をそんなに傷つけて生まれてきた自分は罪深いのではないか、母や将来の子ども(僕の弟妹)を脅かすくらいなら、自分でなく他の子どもが生まれるべきではなかったのかという罪悪感でいっぱいになった。

親は「もう終わったことなんだから、結果的に大丈夫だったんだし」とあっさりと言っていたが、僕は今でもそのことについてほんのりと、取り返しのつかない悪いことをしてしまったのだと感じている。

 

 

子は親の付属物として生まれるが、そこからどうなるかは親も子もわからない、ということしか言えないのだと思う。

その事実自体にマイナスやプラスもなく、ケースバイケースなのだろう。

 

 

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ニュートラルな今ならそう言える。

抑鬱的な時は「自分なんか」という自己卑下と「こうしてほしかったのに、理解されなかった」というエピソードばかりに埋もれて、「自分の価値観」としての形が捉えられない。

 

だからこういう「平常運転」な期間が長く続けば色々と安定するのだろうけど、残念ながら高校生~アラサー期にかけて、平常な時間は減りテンションの不安定な期間は延び続けている。

四季がいつか無くなり、小学生の時は”温暖化で夏と冬だけになるかも?!”とコラムに書かれていて、実際に大人になった現代の天気が壊れているように。

 

 

他の人がどう思うかはともかく、ブログを書いていると(特にこよみモードにすると)浮き沈みがなんとなくわかって便利ですね。

 

 

そんな感じです。