壁打ち

感想、考察、日記、メモ等

20240201

昨日も抑鬱的だったが、今日も朝から死にたさ

(厳密にいえば、将来うまく「終わらせる」ために

どういう手続きが必要か考えた時の

面倒臭さと家族に負担を強いる他ない絶望感)で満ちていた。

 

戸籍を分けただけでは、相続(=負の遺産も同様)の問題は発生するらしい。

その辺の処理も色々面倒だし、その時自分は死んでいるので家族や他人にやってもらうしかない。それは申し訳ない。

 

 

昔、母に「電車に飛び込むとその損害賠償は遺族にいくことになる」と教えてもらった。

それは自分事じゃ済まないんだから死ぬなということだったのか、

そうやって死ぬ奴は迷惑な人間だと言いたかったのか分からない。

ニュースを見た時の憤りだろうか、それを僕に言った理由も分からない。

 

でもたしかにその時、死ぬなら迷惑はかけたくないなと思った。

 

 

職場も7割くらい、普段元気に振る舞っている人も辛そうだったように思う。

昔から、大人ってこんなに苦しいものだったんだろうか。

政治とか事件とか災害、気象、色々あるけれど、昔だってそれなりにあっただろう。

 

 

そういえば父は今の僕より少し上くらい、40代くらいの時

「早く死にたい」と言っていた。

当日中高生だった僕は、それは悲しいということを言ったと思う。

でもそれ以上のことはできなかった、話を聞くとかなんだとか、

(一人間として信頼はされてない)子どもの言葉なんて無力で余計だと思ったから。

 

父は昔より仕事も落ち着いたようだし、そういうことは言わなくなった。

その当時、僕に死にたいと呟いたことは覚えているだろうか、よくわからない。

 

 

自分が幼いときの親の年齢に差し掛かったから、

20代よりも衰えを感じながらも子育てなんてしていたのか、と驚く。

僕は自分のことで精一杯だ。

 

 

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ポケスリで、昼ごはんに作ったチョコケーキを眺めたとき

リアルなチョコケーキだなあ、チョコを混ぜた生クリームに濃い色のチョコスポンジ、

三角ケーキにココアパウダーが振ってあって……

と、なんとなく感銘?を受けてしまった。

 

今の現実よりもゲームのチョコケーキの方が、昔の現実に近いと感じた。

かつての現実を模倣したフィクションと、

遥か遠い次元にまで行ってしまったかのような暗い現実、どちらが身近だろうか。

 

 

でも、昔の僕は既に死んだのだ。

今は体裁を保って成体の人間を装っている何者かという方が、自分にしっくり来る。

こういう中二病な文章も思想も、結局直らなかった。

昔の自分の記憶なのに、他人事のように感じる。でも暖かい。

今は無限に夢をみているような、一生余生みたいな感じだ。

 

 

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昨日はスライムを捏ねていた。

スライム動画にハマったついでに100均で買って、

捏ねていればつまみ食いやストレス解消にもなるのではと思った。

 

捏ねていると、だんだん

「神(実在宗教でなく、自分の中のそういう存在)はなぜ私をこの世に産み落としたんだ!!」という怒りがこみ上げてきた。

 

そういうのは父母の責任ではなく、神の責任のように感じた。

責任というよりは、自然の摂理に対する怒りかもしれない。

神は産みの親で、父母は育ての親という感覚。

 

自分はこの世に仇なす存在だという自認が、なんとなく出てきたように思う。

 

 

 

まだ預金があるうちはなんとかします。

以上です。

アルセウス図鑑研究ポイント:94140pt