ピクミン4をやっている。
元々は急ぎじゃないし様子見で、もし面白そうならやろう程度だった(ブラスフェマスとアーマードコアが出るから…)。
特にブラスフェマスは初版(?)から触りたかったので、短いインディーゲーム(さらに、操作感が被らないもの)をやっているうちに発売日になるだろうというイメージだった。
(プレイしたもののいくつかは他記事に書いてあるとおり。個人的には結構な本数だった)
しかし連続して複数ゲームをするのは、それなりに落ち着かないとも感じはじめていた。
旧ピクミン的にいえばそこそこの尺があり、1ヶ月で終わるかは怪しかった。
けれども、最近の任天堂系ゲームは本編自体はあっさり終わり(少なすぎる訳ではない)、追加要素やサブミッション系が充実してそうだとカービィディスカバリーをプレイした時に思った。
(カービィの開発陣とピクミンの開発陣は被ってないし、他ゲーは実況等々を見たあくまでも体感だが…
ハードがswitchになってからは特に、本編:サブ(やり込み)が7:3くらいのイメージ。
サブを全無視していいゲームであれば、全体ボリュームの6割くらいで一旦エンディングが見られるとか)
本編は1ヶ月くらいでできるだろう、サブ系は他のゲームと並走してもいいだろうし…という言い訳のもと、ピク欲を満たしている。
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1と2は子どもの頃プレイして、2の方が好きだった。1はクリアできなかったかもしれない。
洞窟システムが復活していて嬉しい。
オッチン(宇宙犬)と主人公を操作するのだが、犬が強すぎる(いい意味で)。そしてかわいい。
cスティックが無くなった今、バラけるピクミンを引き連れるのは厳しい。
今作は全種類のピクミンが出るらしいので、足の速さの違いもフラストレーションに繋がる……それらの問題を解決するのがオッチンの存在。
大きな犬の背を借りて、安心してプレイしている。
(今後の展開によってはこの星に置き去りにして帰ることになるかも……という不安が拭えない。
僕は犬の方が大事だ……)
便利機能がついて、それでも所見殺しやうっかりで犠牲が出たり。
懐かしいけど、子どものときより犠牲が出ることを「仕方ない」と思うようになったかもしれない。
後で増やして補えるという割り切り方は、昔はできなかった。寛容になったというか、冷淡になったというか……
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腰を落ち着けて?一本のゲームに集中できて少しほっとしている。
(何かに集中する時以外は、割と常に情緒不安定なので)
あと最近は、ポケモンスリープを適当にやっている。
こういうゲームは効率化を図ると常にそれに縛られるので、あくまでも適当に。
睡眠時間が短いので、僕のポケモンは常に眠そうで元気がなくて申し訳なくなる。
カラカラがほしい。
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『菊次郎の夏』を観た。
楽しいとは一概には言えないけど、寂しくてよかった。
通勤するときとかに、あのテーマ曲が脳内を流れている。
北野監督映画を見ると、子どもは親の付属物で、
親の人生を飾る一部になるか、なれずに無視されるしかないのだなと感じる。
それも含めて、人生のあらゆることはどうしようもなくて、
それをどうにもできないことを諦めて眺めている感じが、虚しくて好きだ。
あと、北野監督とは好みの男というか、キャラクターのカテゴライズというか、
個人的に趣味が近くて嬉しい。
素朴で不器用で一般的にはクズ男と言われるような、けれども惹かれる何かを持っている男性像?
天使のモチーフが好きなんだろうか。それも好き。
以上です。