唐突に「Papers, Please」を始めたが、実況とかで見てたより尺が長い。
あと現実の業務の一部にこういう数字や文字チェックがあるので、
ペパプリをプレイした翌日は「なにか間違えていないか?」という恐怖に駆られた。
間違えた直後にミスしたつもりのない内容が書かれてて、それでも窓口業務を続けなくてはならない。呼び止めて訂正もできない。
その辺りがなんとなくリアルで、僕の苦手としてきた「窓口業務」だった。
まあチェック作業自体は好きな仕事なので、またプレイしたい。
繁忙期が終わるまでは封印。
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今日寝起きでうとうとしていた時、
自分はその気になったら死ねるんだ、ということに恐怖を感じた。
将来の見通しなんてたたないが、どうやって人生を終わらせるかはよく考える。
物語の終わりを重視する性格上、また人にできる限り迷惑をかけず確実に、というのをずっと検討している。
(再三言うことだが、僕は家族がいるうちは死なない。そういう前提で。
他の人達が人生設計を考えるのと同じようなものだ。)
うとうとしながら手順を考えた時、乾燥した空気の息苦しさもあって、
きっと苦しいだろうなという実感を久々にリアルに感じた。
失敗しようが成功しようが。
そして僕はその後、その行為の結果を後悔するだろうか、とも思った。
基本的に後悔はしない方だが(記憶する機能が緩いからかもしれない)
死の瞬間、後悔したら嫌だなとは思った。でも始めてしまったなら仕方ないだろう。
両親や周りの人たちにはできるだけ会わないようにして、
未練を残したり後追いさせてしまわないように努めるようになった(意味があるかは不明)。
そうやって僕の記憶が薄まれば、苦しみはいくらか減るのではないか……という、あらかじめの贖罪というか。
僕の記憶を誰か他の人との記憶に上書きしてほしい。
衝動的になんの準備もなく突然既遂することは避けたいが、今日のまどろみの中で「その気になればすぐ…」と感じてしまった。
ゆめにっきの、窓付きに似ている。
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アイヌ民族の方々への差別問題について、またなんやかやSNSで言われていた。
(某議員の行為が酷すぎなのは論外としても。)
上記URLの教本の存在を知った。
今まで恥ずかしながら知らなかった実態・実情などが載っていて、参考になった。
僕の親世代や、教師陣は「差別の具体例」を明かさなかった。
それは子どもたちによる無邪気な悪ふざけから、差別の再生産を防ぐためベターな選択肢だと思ったのだろう。
(20年前くらいの教育の話なので、今どうなのかは知らないです。)
だから、特に僕が道民として北海道を語る時こういう配慮に欠けていると思う。
純粋に、申し訳ありませんと謝罪する他無い。
(多分アルセウスの感想や自分語り関連の記事は、そういう所が出てると思う。)
無知は悪いこと。しかし今まで無知な自分の存在すべてを否定されているようで無力感がある。
戦争の話も同様だ。日本人に生まれた時から、何も知らないながら罪を背負っている。僕が日本人なのは覆らない事実なので、存在すること自体を謝ることしかできない。
因みに、馬鹿な子どもだった僕は自分の由来がどこから来たのか図々しくも親に聞いてみたが、曖昧でよくわからなかった(と記憶している)。
馬鹿な大人になった僕は未だに自分がどこから来たのか知らない。
何処にも帰属意識もなく、所属できない。
ニンゲンに生まれるべきではなかった、生き物になる資格がなかったのかもしれないと、今は思っている。
以上です。