用事を色々終えた。
久々に休日に人混みに突っ込むということをしたからか、ぐったりしている。
ぐったりしているけど何かしたいと思う気持ちもあり。
しかしここで暴走すると心身が壊れるのでいつも通りの生活リズムでいきたいところ。
ただでさえ季節の変わり目でおかしくなる時期なのだから……
待ち時間が発生し、フィギュアコーナーを覗きに行くと傍にソフビのコーナーがあった。
最近はポケモンもウルトラ怪獣も品揃えが多くてすごい。人気の有無に関わらずある程度は種類が揃っている(ような気がする、ジャンル解像度が低いのでよく知らんけど)。
ヘドラのソフビが気になったけど、これ以上住民を増やすのはまずいので撤退する。
ウルトラ怪獣はリメイクされたりもしていてXXXX年版の〇〇とかちゃんと分類されていた。
ぬいぐるみと比べるとソフビってメチャクチャ安い。型がとれれば量産が簡単ということなのだろうか……。
(ぬいぐるみは基本的に高いしそれが相場というイメージ。手間がかかるので)
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ツイッターでよく見かけるけど、配信はそこまで同接がすごい!という感じじゃない人がたくさんいる(というか、企画とかやらない限りほぼそんな感じか…)。
そういう人の配信アーカイブを眺める(聴く)のが好きだ。
だいたい同じメンバーが揃って、ゲームや雑談…という空気感を共有させてもらっている。
壁になっている、の方が近い。個を認識されたくないので、リアルタイムは敢えて避けてるし…
不謹慎な話とか、仕事あるいは無職諸々の愚痴とか、あまり明るくない、どちらかと言えば少し治安の悪い感じがいい。
僕自身の年齢と境遇が近い感じの人を見つけては、何となく…その場の空気を感じさせてもらっている。同年代で通じるネタとかがあると嬉しい。
勝手に一緒につるんでる感をこちらから感じているだけだけれども。
かなり前の話だが、hacchiさんが最近何の動画観てる?みたいな話の時、「おっさんの日々の動画(Vlog?)」的なことを答えてて、どこからよさげな界隈を探してくるんだ…と思ったけれど、
SNSや他動画のコメント欄で”よさげな人物”を辿っていくと意外と見つかるものなのかもしれない。(はっちさんが実際どういう経緯で見てるのかは知らんです)
改めて、日本って企業も個人もyoutubeやtwitterにめちゃくちゃ依存した社会に移行していたんだな…と思う。
ここが層によってはtwitchとかツイキャスとか、インスタとかtiktokとかになるんだろうけど。
なんかそういう「一か所にたむろする」みたいなものにこの齢で手を出すのは……と思ってしまう。
その行為(コミュニティへの帰属)自体は人間が一生することなので全然問題ない。
「慣れてないコミュニティに、僕が凸っていく」みたいな不和があまり…よくない気がする。
僕がコミュニティそのものに小学校中学年くらいから逸脱しはじめて、まあ大学まで少ないながら友人もいたし未だにSNSとかで見かけて、それは「趣味のグループ、穏便で居心地のいいグループ」なんだけれども、
高校生が未成年で悪いことに手を出すみたいな、そういう危なっかしさが最近自分の中で芽生え始めている。
といってももう人間の輪を広げるつもりはないので、上記の配信アーカイブ視聴とか
「透明人間になって疑似的にたむろさせていただき、飽きたらどっか行く」みたいな状況になるのだが。
生活環境の悪さ、心身の健康不安、貧しさ、あるいはそれらがいつ自分の身に降りかかってくるか分からない不確実性……みたいなものをうやむやにするような、
それでいて路上に座り込んで煙草を吸うのがカッコいいと思っている、中高生並みの幼稚な不貞腐れ感みたいなものに浸らずにいられない。
(今の中高生は、もっと洗練されたものを観たり聴いたりしているだろうけど。あるいは別の形でフラストレーションを発散させているか。
それについては知らなさすぎるので、あくまでも僕の世代の「ワル」像……)
なんかこういう言い方あんまりよくないな? ???よくないと言うのが余計よくないのか?
何が誰に? ?? あ?
よくない文章しか書かないので仕方ない。全部俺が悪い。
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実際のところ、僕は高校生以降からは友人といてもその場を楽しむみたいなことができなかった。
「周りの人の邪魔になっているのでは?」という恐怖と「でもそれを指摘すると、この空気は冷めてしまう」という恐怖。
( このくらいの年齢から、外に出ると「社会に忌避される存在」にラベリングされている自分を常に意識するようになった。ゆとりは……高校生は……自転車は……浪人生は……大学生は……新卒は……実家住みは……無職は……etc.
子どものころ叱られた「(ここで手を繋ぐと、並んで歩くと)邪魔になるから」という記憶もよく思い出した。今でも思い出す。 )
その場を「支配」しないならリーダーシップをとったり幹事をすればいいのだが、
それをせざるを得なかった時期に友人たちの目配せ(実際はわからないが、AとBが決まらず有効な意見もなく多数決もしない場で、僕がなんとなく選んだ方に「その選択するんだ…苦笑」みたいな)を感じてからは、
幹事をしたり人を誘ったりもしなくなった。
元々追うのは下手くそで、新しいクラスでも独りで何もせず待って、偶然あぶれてしまった人に話しかけられて成り行きで…みたいなパターンも多々あり。
だからこうやって、誰が見るとも知れない僻地で、身にならない文章を書いている。
孤独死一直線という感じ。
以上です。