moonscarsの有志の方が作って公開してくださってるマップで、耳飾りを集めまくった。
(こういう収集要素はたいてい自力でやるが、今回は累計66個?くらいのアイテムを集めなければならないため、甘えました)
トロコンもいいが、インベントリを埋める系のも楽しい。自分向きの「楽しさ」だと思う。
初見で自力で見つけるのもいいし、今回のように情報を得た上でそれを拾いに行くような「作業」感の強いものでも好きだ。
結局僕はボス戦よりも、道中(できれば敵より自分が少し強い、ストレスなく進めるくらいの)で「その世界の中にいる者」として自己投影するのが好きなのだと思う。
リアルな自分をベターな形に仕上げるよりも、理想的な世界で主人公に自分を重ねてベターな立ち回りや選択肢を選んで進むのがいい。
僕は同じような服しか着ない。今日はその事について気に病んだりした。
それとはまた別に室内で一人のときに限り、多少汚い格好の方がなぜか安心してしまうことについて、悪いことなのではと考えてしまった。
汚い自分を隠すため、外出時の服のバリエーションは被らないようにしている。今は仕事着だと割りきって似たような格好(それでも毎日少しずつ変えている)だが、学生時代は完全私服なのでもっと複雑だった。
学生時代、僕のスケジュール帳にはその日着た服がメモしてあり、曜日や講座によって被らないように着回していた。紙に書かれた情報の方が、自分の脳内より信頼できる。
人に嫌悪の目で見られるよりは、無駄なように思えるメモ書きもやむを得ない。
「普通の人」はそんなことしなくても、自然に着回しができるんだろうか。それともそんなこと自体に囚われず、服が被ろうがなんだろうがそんなことで悩まないのかもしれない。
「他人の目が気になるのは思春期特有のもの」なんて嘘だった。というのは暴論で、僕には当てはまらなかっただけだ。
幼少期からきっと大人の顔色をみて、どこまで騒いでいいか、いたずらしていいかのラインを探っていたと思う。そうやって「社会」にビクビクした奴(僕)がいても、友達は楽しくなかったろうと思う。全ては僕の妄想だけれど。
そういう人間は、どれが同じ服とされているかよくわからない。だから試行錯誤するしかない。
年を取ってよかったのは、若いからお付き合いの機会も考えてちゃんとした身なりをしなさい、という目で見られる感覚が薄れてきたこと。
僕自身が服装でカバーできないほどよれよれになって、やっと「自分には今の状態がぴったりだ」と思えるようになった。
若者の癖に元気がないとか言われないし。(実際に言う人がいたわけではない。僕がそうあるべきと思ってしまっていたのだと思う。)
ゲームの世界で自己投影して心を保つ中年になっている。
でも、もう誰も正解を要求してこないなら、自分さえそんな自身を受け入れられるなら、それでいいやと前向き兼投げやりにそう思っている。
そんな感じでした。