壁打ち

感想、考察、日記、メモ等

20230602(宿主としての人類、『Bloodborne』と『エイリアン9』)

※個人の浅い解釈、考察なので大目に見てください。あとネタバレを含みます。

 

「Bloodborne」をプレイしていた時、上位者との契約って「エイリアン9」の共生みたいだなと思った。

 

===雑な解説===

『Bloodborne』:高難易度系アクションゲーム。人間が獣のように凶暴化する「獣の病」に侵された世界で、狩人として戦う主人公。戦い続けるうちに獣の病の根源、人間の犯した医療と血の禁忌、クトゥルフ的上位者の存在等々について知っていくこととなる。3つのエンド分岐がある。

 

『エイリアン9』:ほのぼの殺伐漫画(アニメも有)。「エイリアン対策係」の小学生達が、日常的に侵略してくるエイリアンを討伐、共生する。担当教師の裏の目的に振り回されながらも、対策係に任命された3人は係活動を通して友情を深める。

 

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まず、エイリアン9。

エイリアン9の対策係の表の活動は「敵性地球外生命体の駆除等」だが、この係が存在する真の理由は地球外生命体「ボウグ」と共生できる人間(ホスト)を見出すためのものだった。

担当教師久川めぐみは既にボウグと共生済の人間であり、それが「ボウグ」たちの生存戦略だった。侵略してくるエイリアンはさしずめ”教材”であり、対策係を成長させるために久川先生が発注したものだったり。

 

しかし「イエローナイフ」の出現等、ボウグと共生する人間達とは違う者の手が徐々に介入していく。イエローナイフの一件で対策係の一人、遠峰かすみは「イエローナイフとの共生」を選んだ。

人間の機能(身体、知能、生殖)を狙う共生型エイリアン達は、ボウグ達だけでは無かった。かすみの中にいるイエローナイフは言う。

「この市場はもう君達ドリル族だけのものじゃないよ」

 

またエイリアン討伐中に腹部を食べられ「機能停止」した川村くみは、手術により強制的に(本人の意思なく)ボウグを本体として再生した。

(この場合人間としては死亡しているため、ホストとしての価値はないとされている。)

ドリル状になった右手を見つめてくみは言う。

「もうお嫁にいけない」

 

どのエイリアンにも寄生されていない「人間」として残ったのは、エイリアンに恐怖感を持つ大谷ゆりだけだった。彼女をどう「教育」してボウグとの共生を成功させるのか…という話。

 

 

(ここまで読んで「いいな」、または「Bloodborneに似てるな」と思ったらエイリアン9を読んでほしい。是非に…)

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Bloodborneの上位者、また契約という概念は、エイリアン9の共生の概念と近い気がする(と僕は思っている)。上記のエイリアン9の世界観を織り交ぜながら書くと。

 

狩人達(と医療教会)の表の目的は獣の病の予防、また獣化した者の駆逐である。だがそんな世界の在り方に別の目的を見出す者達が現れはじめる。

獣狩りの夜と呼ばれるような一連の「狩人のシステム」を守り続ける者、上位者と様々な方法で接触、共鳴を求める者…。やがて目的は複雑に分岐していき、学派や別の組織、システムとなり各々の目的を果たそうと向かっていく、それは人類なのか、はたまた上位者や見えざる何かに突き動かされた結果なのか…

 

初期に出会い、主人公が狩人として成長する様を見守るのは、美しい女性を模した「人形」とゲールマンという老人。この拠点は「狩人の夢」と呼ばれ、レベリングや各地点への移動が可能な「安全地帯」である。

やがて一人前の狩人になった彼は来たるべき時になると「ゲールマンの介錯に身を任せる」か否かを選択する。

介錯に身を任せたのならば、獣狩りの夜は明けて彼は狩人のシステムから離脱し、普通の人間となる(と僕は「ヤーナムの夜明け」エンドについては解釈している)。

介錯を受けることを拒否しゲールマンを打破した場合、主人公が老ゲールマンの立場を引き継ぐこととなる。再び夜が訪れ、狩人の夢に迷い込んだ人間に狩人の心得を教え、導くために。(と僕は「遺志を継ぐ者」エンドに(同上))。

 

この獣の夜と狩人のシステムを守り続けていたのは、おそらく古代トゥメル人(祖先)が月の魔物と交わした「契約」だったのではないかと思う。聖杯ダンジョンに頻出する狩りのカレル文字は、月の魔物との契約の印であり、ダンジョンは契約に至るまでの苦難の道のりを示しているのかもしれない。

 

上記二つのエンディングは月の魔物との契約の中での話であり、エイリアン9でいうと「月の魔物との契約=ボウグとの共生」に適応できた人間か否かという感じ。が似ている気がする。

ボウグと共生した人間「ドリル族」になれなかったのなら、ブラボの「ヤーナムの夜明け」。

「ドリル族」になり、久川先生のようにボウグと共生するのに適格な人物を見つけ出し続けるのなら、ブラボの「遺志を継ぐ者」エンド。

 

なれるか、なれないか。その意思があるか、ないか。

どちらにしても、月の魔物との契約は続いていく。ボウグの共生は継続される。

 

 

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Bloodborneには三つ目のエンドがある。「幼年期のはじまり」エンド。

ある条件を満たし老ゲールマンを倒すと「月の魔物」が出現し、撃破することでこのエンドに分岐する。

戦闘後に主人公は人ではなくなり(イカ状の「何か」)、新たなステージ?に至ることとなる。考察によるとクトゥルフ神話から着想されたこのゲームで、狩人自身が上位者となったとされているエンドである。(という解釈で合ってますか?)

 

僕が思うに、上位者エンドで月の魔物を倒さなければならないのは月の魔物と交わした「狩人」契約を破棄しなければならないからではなかろうか。

月の魔物以外にも「眷属」と呼ばれる敵がおり、いわゆるクトゥルフみのある造形をしている。彼らのような眷属と契約したのか、人類自身から生み出された「新たな上位者」として生まれたのかは不明だが…。

 

エイリアン9のかすみはボウグとの契約を破棄し「ドリル族」化することを拒み、より親密な感覚を持ったイエローナイフとの共生を望んだ。

彼女の選択はブラボでいう「幼年期のはじまり」エンドのようにも思える。

 

 

まあ、似ていて興味深いなという話でした。人類の繁殖能力に目をつけているというのも共通しているだろうか。

どっちも好きな作品なので、また語りたいことがあれば思い出し次第書きます。もう少しわかりやすく書きたかった。伝わりますか?

 

 

そんな感じです。