壁打ち

感想、考察、日記、メモ等

20230519(「しなさい/してはならない」論に過剰反応してしまう理由)

これを書いたきっかけ。

 

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僕が「しなさい/してはならない」論に過剰に反応してしまうのは、多分それ(こう答えなさい/こう答えてはならない)が原因で、言葉が出にくくなったからだ。

自分の体感では、高校生くらいから酷くなった。はい/いいえならまだマシだが、具体的な応答を求められると数秒間答えられなくなる。

 

何か聞かれたとき、僕の中では「どう答えれば誤解されないか」「相手は何を聞きたがっているのか、どういう意図でどんな方向性の回答を求められているのか」「その回答はTPOに合っているか(カジュアルまたはフォーマル)」「相手の感情を逆なでするような表現ではないか」等々が次々に浮かび、最終的に最善の回答を選択し、発する。

 

なぜそんなまどろっこしいことをしているのか、素直に答えればいいじゃないかと思われるかもしれないし、僕もそう思う。

しかし素直に答えて僕は散々事故って、叱られて、誤解されて、相手を悪意なく傷つけ怒らせて、自分も痛い思いをしてきた。

 

もうそういう思いはしたくない。そういう思いをするくらいなら、薄っぺらな人間になってそれらしい回答を探し、それらしい形を演じ続けるだけだ。

だからきっと僕の脳内ではいくつもの「こう答えなさい/こう答えてはならない」が、会話のたびに走査している。

 

 

ともかく、真剣に答えようと思おうが適当に相槌を打とうが、どうしても相手の言葉と僕の応答には「数秒の間」が発生する。僕はできる限り自然に会話が続くように、えーとかうーとか音声を発しながら考える。

 

しかしやはりその「間」が、相手に躊躇いだとか拒否だとか思われる原因になる(実際は躊躇いとか拒否がなくても、その答えをどう伝えれば適切なのかで固まっている)。

「ああこの人は何か答えたくない部分があるのだ」とか「答えづらいことを聞いたかな、気まずい思いをさせてしまったかな」と思わせてしまっていると思う。

 

そういう理由で、母国語であっても音声言語は苦手だ。

会話のたびにこんな状態なので、どこか上の空なのだ。自分ではない自分っぽい誰かを、どこか演じているような気分で会話している。

 

 

記述する文章が一番本当の自分に近いと思うが、これも真ではないと思う。言葉遣いやその軽率さに関しても、色々と叱られてきたから。

言葉を持つ生き物になるべきではなかったのかもしれない。

 

 

そういう感じです。