職場の飲み会。
色んな人がどんなことを考えながら仕事をしているのか知るのは興味深い。
しかし、知ってしまうと「いかに相手の思想に反しないように行動できるか」とつい考えてしまうようになり、それが恐ろしい。
相手の、といいつつそれは自分の憶測でしかなく、相手のことを考えて行動してもそれが実際相手のためになる訳ではない。余計なお世話だったり、逆にギクシャクしてしまったり。
相手のことを考えて気を利かせるのが善いことだと思い込んでいた。けれども、だんだんそれが自分と他人の境界を分からなくして、僕は自壊したのだった。
それを忘れて、また壊れるまでそこで働いて、壊れたらまたどこかへ去るのが「私が人としてできる最善の生き方」なのではないかと思ってしまう。こうすれば皆が嫌な思いをせず、快適さを最大限にできるのだと。
一方で、まず自分が存在し続けなければいけないという現実がある。そして生存の痛みを軽減するためには、自分をまず最優先に考えることを意識しなければいけない、ときもある。
そもそも「相手にこうしてあげよう」という思いそのものが、自分がそうありたいという欲望や目的のためだ。
(あくまでも僕が思う、僕自身の人生の話だ。それが他の人々の境遇やシチュエーションにも当てはまるとか考えてはいない。)
世の中には知るべき事態、ニュース、現実がたくさんあるが、それら全てに常に目を向けなければならないと考えはじめると、きっと生きていけなくなるだろう。
絶望してしまうから。
僕は今回、ちょっと今いる場所に絶望してしまった。
しかし全てを終わらせることはできないし、終わらないということは肉体を維持していかなければならない。そのためにはお金がないといけない。
目をつぶりながら歩くしかない。
以上です。