壁打ち

感想、考察、日記、メモ等

20230516(ゲーム『Blasphemous』『Bloodborne』のエンディング)

近況→Blasphemousの続編まで、操作感を忘れたくないのでまた1をプレイしている。

 

PS4でトロコンまでプレイしたほどハマったのだが、アートブックやコミック、サントラを購入するにはsteam上で本編データが必要だったので、steam版も買ってそのまま放置していた。

スペックの足りているPCがあるし、どうせならsteamの方も実績を埋めようとプレイ。二周くらいするとアイテムの場所等もだいぶ思い出してきた。

 

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当時→Blasphemousを半年くらいやった後Bloodborneをプレイした。(理由は忘れたが、Blasphemousがソウルライクと呼ばれていたのでソウルシリーズのどれかをプレイしてみたいとかだった気がする。ブラボかセキロか悩み、ストーリーをあまり把握してないブラボを選んだ。)

 

Bloodborneはゲームとしては別物だったが、このゲームにもすごくハマった。PSplusに加入してないので、オフラインでのろのろ進めたけどそれでも飽きず楽しかった。こちらは周回というより、生成した聖杯ダンジョンを延々と探索するのがよかった。これも半年くらいはやっていた。

 

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今、再度フェマス(便宜上の略称です)のエンディングを観ていると、ブラボのエンディングと通じる、というか相似的な部分があると感じた。

信仰をテーマとすると、自ずとそういう結末に収束していくのだろうか。

※記載上フェマスが前に来るのは、僕がその時系列でプレイしたからというだけですのであしからず…

 

・無価値なる者の道、ヤーナムの夜明け

自己は大いなる流れの中に取り込まれた一欠片に過ぎなく、たくさんの者たちの積み重ねでしかないという結末。けれども、人間が平穏に生を終えるような安心感もあると感じた。

・信ずる者の道、遺志を継ぐ者

大いなる流れの機構(の一部)となり、多くの人間を導く存在になること。神にはなれないが、神と人との橋渡しをする役割を担う。聖人の逸話のような結末。

・フェマス真エンド→幼年期のはじまり

大いなる流れを根源から断ち切り、新たな流れをもたらす結末。冒涜でもあり、既存の古びた流れからの解放または昇華でもある。

 

どのエンドが本人及びプレイヤーにとって幸福なのか、どれが正しい形なのかは人によって異なるでしょう(ゲームとしては、3つ目のエンドが真とはされるけれども)。

僕が主人公なら、1つ目の凡庸な一人として最期を迎えたい。

 

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僕はどちらの作品も、この一本で作品として完成されていると思ってしまう。

しかし続編が出るならやらずにはいられない。フェマス2が待ち遠しい。

 

そんな感じでした。