今日は休み。
最近、労働時の緊張感(慣れた職場だが、余裕のある月だったため仕事をしてないように思われないかと気を揉んだ)と楽しいこと(ゲーム、縫い物に自由時間をみっちり使った)で一杯になっているようで、疲れが溜まっている。過集中というか…
疲れが溜まっている時に解消する手段、寝るか何もしないで過ごすしか知らない。
寝ると生活リズムが乱れるし、何もしないと不調の時は色々とマイナスな方向へ思考が進んでしまう。
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自分に連続性はなくて、子どものころや学生の頃、新卒だった元職場の自分は既に死んでいて、「社会性を保つため己を律する大人の影」と「(特に幼い頃)してもらえなかったこと、無視された・舐められたことを恨めしく思っている子どもの影」だけが累積されている気がする。
その影は過去の自分や周囲の人間とイコールではなくて、あくまでも自分の中で醸成されたこの世と自分を隔てるイメージだけれども、自分の過去にはそれら二者の影しか残っていないのではないか、と思い込んでしまう。
子どもの時、自分が大人になる姿をイメージできなかった。
僕にとってイメージとは画像や映像的なものに依っていて、それでいうと「XXXX年の自分」がそこにいるんだろうかというおぼろげな感じで画像的な形が捉えられなかった。
今子どものころを振り返ってみても、それがイコール自分だとは思えない。
過去と未来双方で、繋がりが感じられない。
今に至っては、僕は本当は何か人間ではない宇宙人で、人間の肉体だけを乗っ取っているのではないかというような、他人的印象が強くなってきている。
昔はそんなことはなかったはずだが……
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上記の「過去の自分は自分ではない」「今の自分は誰かの肉体にただ乗りしている何か」という感じが抜けなくて、たまに家族や過去の人間だった誰か?に申し訳ないと思ってしまう。
自分の存在自体が申し訳ないから、
両親が歳を取って介護が必要になったら、記憶が曖昧になってきた頃に「自分はあなたの子ではなくヘルパーだ、あなたの子どもさんは遠方で幸せに暮らしていると聞いている」とか言って、自分の存在ごと消してしまう方がいいんじゃないか。
と思うこともある。
きっと歳を取った両親を言いくるめることはできる、と思う。
でもふいに名前を呼ばれたり、「いや、やっぱりあなたは私の子だ」と言われたら、泣いてしまうかもしれない。
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そういうことを考えている。
何かしていれば気は紛れるが疲れる。今日はブラスフェマス2も裁縫も満足できるほどやれたし、酷暑で溜まっていた片付けや掃除もできた。
職場関連で必要な手続きも、なんだかゴタゴタしたができた。片付けや掃除はその怒り?フラストレーションをぶつけるような感じだったので、結局は疲労解消は±0になるのだろう。
もう少し楽しい話(ゲームの進捗とか)を書くつもりだったのだが、まあ、仕方ない。
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今日はグッドスリープデー?ですね。
今週やっとトープ洞窟に入れましたが、めちゃくちゃゲージが固い。
気持ちがクチャクチャになっている時に頭を無にするには、寝るしかないのか。
もう寝ます。
以上です。