壁打ち

感想、考察、日記、メモ等

20230820

ピクミン4のサイドミッション(ピクミンを増やす、花を咲かせる以外)も全てクリアした。

葉っぱ仙人のプラチナはもうキツすぎるので……ギブアップ。

 

懸念していた「ブラスフェマス2までに終わるのか」はかなりちょうどいいタイミングで成功。

 

あとはおとなしくオタカラ図鑑と原生生物図鑑を眺めて25日を待ちます。

今作は遭難者・オリマー・ルーイそれぞれのコメントもあるし、遭難者の会話もかなり多かった。プレイ中はゲームに脳が支配されているので、気になった時以外はあんまりサブテキストは読まなかった。

ピクミンは初代の頃から日記や解説要素という、テキストに力を入れた(というか、設定や世界観を学術的なテイストで出してくる)ゲームだったので、これぞピクミンという感じがする。他のゲームに手を出す前に目を通しておきたい。

 

僕はノベルゲーに興味が薄かったり(集中力的な意味でクリアできる気がしない)、FGOとかもシナリオスキップを多用してしまう。

読むという受動的行為と攻略するという能動的行為の切り替えがヘタクソなんだなとしみじみ思う。

(会話文はなぜかOK。「会話する」というのが能動的と捉えてるんだろうか)

 

 

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夏といえばソシャゲイベ。

刀剣乱舞江戸城で目当ての刀を回収して終了

FGO→オベロンの夏服もらって終了

現在進行形で触ってるソシャゲはどちらも目当てのものが揃ったら撤退する、という感じになりつつある。本編放置……

 

上記のテキスト読みが発生するので、ソシャゲの本編は面白いと思っていても自然と放置の流れになってしまう。

イベントも忙しさや他の趣味で追いつけなくなって、ログインすらしなくなったりもする。

ただたまに気になる新規キャラがいたりすると、出戻りが発生して再度手をつけはじめたりする。刀剣もFGOも一度離脱してる時期があったり。

 

 

「なんとなくやめて、なんとなく再開する」がゆるくできるのはソシャゲのいいところだなと思った。

 

 

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ソシャゲというか、ポケモンスリープにハマって?いる。

一応ズルというか、寝てないのに寝かせるみたいなのはやらずにいこうと思っているけど、道のりが長すぎる。

おてつだいがレベリングに含まれず?アメと睡眠時間(しかも5体に絞らなきゃいけない)でレベルを上げるとなると……

 

 

個人的に助かったのは、加齢のせいか社会の荒波のせいか「進化前のポケモンの方がかわいい、癒される」という概念が少しずつ自分の中で醸成されていたらしく、一部を除き進化させなくてもいいや……となっていること。

 

子どもの時にはありえない!と思った思考だ。作中でもNPCが「進化させると可愛くなくなるからイヤ!」みたいな台詞を言っていたが、そんな考え方が微塵もなかった。

進化させた方が絶対フォルムが複雑でかっこいいだろ!という感じだった。

 

 

ポケスリは、進化させたい人にはもどかしいかもしれない(あと、睡眠タイプが偏る人。僕は頻繁に「特徴なし」が出るしまだ不満として感じてはいないが、いずれは…)。

 

 

ゴニョニョデデンネヌメラモクローがほしいです。

 

 

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ゲームばかりやっている。

それ以外の趣味も必要だと思い始めている。ゲーム以外の時間がtwitterか家事か気絶か虚無(主に、この世の絶望や暗い自分の将来についてなどを考える時間)になっているのはよくない、多分…。

 

 

ゲーム以外にやったこと。

 

・実家に帰って昔買った漫画を読んだ。これについては16日の日記に書いてある通り。

 

・ピアスを増やした。開ける位置を間違えたインダストリアルにリベンジ。穴を「育てる」のは楽しい。

 

・いわゆる「自作ぬい」的なもの。本体はできあがり、最近はアロハシャツを作っていたけどもう夏が終わりそうだ。

好きな動画制作者の一人、すあださんのわんぶたの影響かもしれない。最近は僕自身のぬいぐるみを持つことへの抵抗感(モノ、特に人や生き物を模したものを増やしたくなかった)も少なくなってきたし。

 

youtu.be

 

好きな動画が多すぎるが、わんたんが好きなので……

配信のまったりした空気感もよい。

 

有名なのはこれだと思う。この話も好き。

www.youtube.com

 

 

 

・何か小説的なものを書きたかった。が、ゲームの進捗によっては後回しになる可能性が高い。

中途半端に絵、漫画、小説等を書いているので、オリジナルであたためているものがずっと残り続けている。

 

自分が死んだら、脳内にある色々なアイデアや思考は全部霧散してしまうんだな、と思う時がある。先祖も、世の中のたくさんの人々も一人一人何かしらの「思考」があり、でもやがて皆死んだとき、それは無かったことのようになってしまうのか、と思うと愕然とする時もある。

 

(死後の世界があるのかとか、意識や思考は実は残っているかもしれないとかもあるが、少なくとも現代で生きている人間にはとらえられなくなってしまう。)

 

かといって「悔いのないようにできることどんどんやろう!」とは思えないし、体力的にも精神的にも建設的な、将来性のあることができなくなってきた。

せめて最低限の「形のよいもの」は残していきたい、と思う。

できる限りではあるけれども。

 

 

 

以上です。