壁打ち

感想、考察、日記、メモ等

20230627

やりたいことがあって色々思い浮かぶけど、何も手を出せず横になっていた。退屈だった。

 

「やりたいのに動けない」とか「退屈なのに目の前の楽しいことをはじめることができない」ことって、以前は感覚としてよくわからなかった。

最近は、そういう脳のしたいことと体のしたいことが合わず、ちぐはぐになることがあり得るのだと様々な人の文章を通して知った。

それを知ったことで、僕のこの状態(能動的に動くことを命令しても動けない)が、僕自身の怠慢や不誠実さ(言行不一致)ではないこともあるかもしれない、と思えるようになった。

 

そう思ったところで、なにもできないことやそこから生じる不快感や違和感、虚しさは変わらないのだけれど。

 

本を借りた。カバーをかけてさあ読むぞと思っていた僕は、どこかに行ってしまった。

そうやって今まで、幼少期から学生、社会人になって、過去の自分は皆どこかに行ってしまい、他人事になった。今までの人生経験が私を形づくる!とはとても思えない。自己連続性がない。

今の、一人のうのうと生きている自分もいつか他人になる。

 

退屈だったことはおろか、楽しかったことも少しずつ忘れていくのなら、長生きすることは「意味」がないのかもしれない。「価値」はあるかもしれないが。

 

親を不快にさせるガキ→言われないとできないゆとり→煩わしい学生→不器用な新人→たらい回し異動民→社会に無価値とされる無職→今(非正規)

今まで自分の所属する場所はいつも、社会にとって鼻つまみものだと思っていた。

そのうち年を取り、低生産性の老人とされるだろうと思う。一生のうち、僕に価値のあった時期なんて無かったのかもしれない。

 

 

寝たほうがいい。

以上でした。