壁打ち

感想、考察、日記、メモ等

20230605(個人的な、自己防衛と攻撃性の関係)

午前中、ニュースサイトの小さい記事やツイッターでよく見る「街中で絡む不審者」的なことを思い出し、そういう目に遭った時「相手に対する自分の暴力的な悪意を、善バカっぽさのオブラートに包んで返り討ちにできないか」妄想してしまっていた。

 

普段は他者に興味がない。(本当に興味がない。すれ違った人がどうだったとか、こんな人がどうしていたとか同行者は見ていても自分は見ていない…ということが多々ある程度に。)のに、見知らぬ他者に怒りを感じるというのは疲れている証拠だ。

 

実際にいい人も普通の人もたくさんいる(もちろんそうでない人もいる)。しかもそのほとんどはただすれ違うのみだ。なんの関わりもないし、怯える必要はない。

原因は疲れているからだと思う、自分の傾向をみると。できる限りの休息や対策は取っているので、これが努力の限界なのかもしれない。あとは気候がもう少し安定してくるのを待つ。

 

加害を加害で返すのは良くない。

それはそれとして、余裕のない生活を送る人間(僕も含む)にとっての自己防衛は、最終的に動物的な攻撃行動でしか埋められないのかもしれない。スカッとする目的とか視野が狭い性質だとかだけでなく、多くの人には知覚できないが埋もれている負の感情なのではと。

攻撃と直結していなくとも、スーパーで可能な限り消費期限の長い方を取るとか、そういう行為。壊れかけの自己を守るため、他者の領域を狭くすること。

 

僕はできるだけフラストレーションで生じる攻撃性を自分に向けて、他者を侵略しないように努めている。できるだけ。

 

本当に他者に実害を与える可能性が出てきたら、自分を消滅させるしかないのかもしれない、と思って過ごしている。昔からずっと、そう思っていた。

 

(僕の本質的な部分とは別に、仕事のストレスによるうつ病を拗らせて通院はしているが、僕の根源的な悪い部分は一生治らないだろうと思う。それが僕の本質だから。

担当医にはそれとなく加害性や自分自身の性質について話しているが、通院のきっかけとは別問題なので、向き合ってもらえないかもしれない。僕は、それはそれでいいとも思っている。)