壁打ち

感想、考察、日記、メモ等

20230501

実家に行き、帰ってくる。

 

帰宅後、しばらくベッドの上で動けなくなっていた。そうやって「一人でいるときの自分」を取り戻す必要があったため。

その自分が本物で他の全ては偽物だとは言わないが、「一人でいるときの自分」が一番楽なのでその感覚をたまに補充する必要がある。

多分今後、また家族と暮らしたりすればそれはそれで慣れるのだと思う(以前は映画を一人で観に行くなどして一人の時間を作っていたし)。しかしその分僕の「対人ゲージ」を消費するため、家族や職場での振る舞いは雑になったりぎくしゃくしたりするだろう。仕方のないことではあるが……

 

 

親や周囲の人々を見たり、自分の行動を省みると、年を取ると楽にはなる。が、個々人が持つ加害性(これは若い時から人それぞれ違う形で持っていて、でも隠したり社会人として圧し潰していた性質)は増していくようにも思う。

自分はこうなりたくないとか、こうありたいと思うことは結局、その対面する位置にある性質を強めて別のよくない部分が醸成されてしまう気がする。反面教師と対称にあるものがよいものとは限らない。

 

そう考えると、(他者はまだしも、ゴミのような自分が)抵抗する術もなく腐っていくのをイメージせずにはいられない。

 

仕事上必要な「社交の場」の予定が入った。僕は以前のように愛想よく振る舞うことはできないだろう。図々しくなったし、正社員だからとか新人だからとかで愛されなくてはならないという枠組みからは外れた。

だけれども、人間のいる場でわざわざ「僕は人間が嫌いです」と堂々と言うほど、他者を故意に傷つけたいわけじゃない(戦略的にも悪手だ)。

 

 

心の中の自分が不愉快だという顔をしている。「こっち」にも気を配らないと、急に仕事を辞めるとか誰もいない所に行くとか言い出しかねないので難しい。

自分の機嫌を取る自分は、誰に労ってもらえるのだろう。誰か労ってくれたとして、その人(あるいは自己内部の人格)を今度は誰が労うのだろう。

 

 

早く寝た方がいい。そういう時はたいてい、ベッドに入るまでが長いからどうしようもないのだけれど。