壁打ち

感想、考察、日記、メモ等

20230412(春は変な人が)

春は変な人が出るからね、とか、春だから変質者に気を付けようね、という言葉を聞いて育ってきた。

 

時が経ち、僕は大人になった。そして苦手な春がきた。

 

子どもや関わりのない他者には手を出したりしないけれども、脳のなかで渦巻いている不安定な感情や醜悪な言葉がつい、口から出てしまわないか気を付けている。

気を付けていながらも、一つ一つの言葉選びや所作に、倦怠感や人類そのものに対する嫌悪感が出てしまっている気がする。

 

何年も相互フォローになっている人にどう映るのか、こいつは壊れてしまったと見捨てられないか。

正直、自信がない。自己制御に自信がないから、なんの繋がりもないこの場所でくだをまいている。

 

そう考えると「春には変な人が出る」というのは、なにも他人に限った話ではなかったのかもしれない。

自分の中の醜い部分を隠して、人らしく振る舞っているつもりだが、「人でない部分」が一瞬、はみ出てしまうような季節。

いっそ変人に見られた方が、人も寄り付かないだろうという自己破壊的な投げやりな態度にもなってくる。良くない。

 

僕は大人になって、春には変な人になる「あちら側の人間」になってしまったのか。(別に嫌ではない。自分に対して諦めているから)

 

すれ違う他者を「あちら側の人間」かどうか判断するのは失礼ではあるが、今の時代いつすれ違いざまに刺されるかもわからない。

自分の身を守るためには必要なセンサーだと思う。

そしてそのセンサーは、自分の行動を省みて他者に危害を加えていないか等を確認する自戒にもなる。

 

春が来る度にこれをやるのか。毎年。年々疲労感が増していく。

 

Twitteryoutubeのコメント欄を見ると、明らかに殺伐としている。不安定な部分が漏れ出てしまっている人が、相当いると思う。

(それが良い悪いはここでは語らない。僕個人としては、季節の副次的な産物としてある程度は仕方ないと諦めてしまっているから、それを裁く資格がない。)

 

僕は今年の春、そしてこれから先何度もやってくる春に正気でいられるのか自信がない。

 

制御できなくなったら、他人を傷つける前に自ら終わりにしようと思う。

そう思いながら、時間を見つけてはできるだけぼんやりとまどろみ、自分を無害化している。