夜、不安にとらわれた。
恐ろしい物事について、調べたくないのによく調べたりしなければいけないような気持ちになった。知らなければならない、私は苦痛を受けなければならないという強迫観念。
書いて落ち着いて、すぐ寝ようと思った。
それで昨日の記事が目に留まり、そういえば昨日は抜毛症の話をしていたというのを思い出した。
そういう時期なのかもしれない。
ニュースを見ると殺伐としていたり、凄惨なことや痛ましいことが起こっているとわかる。最近久々にニュースに目を通すことを再開して、それを「見なければ」という強迫観念のきっかけになったのかも。
あるいは、単純に気候が安定しないことや春特有の焦燥感。
原因を探しても仕方ないのに、症状についてネットで検索して上位にある医療機関の記事をざっと見たりする。
仕方ないというのは、現状自分が打てる手は全て打った上で、この生活があるからだ。
また、疲労や睡眠不足等の明確な原因が思い当たるからだ。交通費を浮かすためと少しでも運動不足を補うつもりで歩いた。
こういう日は、早く寝ようと思いつつだらだらとベッドに行きつけない。寝ようと思ってすぐベッドに入れる日は、元気で意識の高い日だ。
ここで書きたいことはたくさん溜まっている。ゲームや漫画の話、自分が普段考えている話。でもそれを大切に思うほど、推敲して書かなければという、ここでもまた「こだわり」が出現する。
本当は僕が書かなくても誰も見ないかもしれないし、必要ないかもしれない。今まで堆積してきたインターネットの無数のブログのように、誰にも読まれないままいつか消滅するかもしれない。
自分が満足したいだけだ。自己表現でもあるし、後から読み直して「それはそうだな」と思うための文章(同じ人間が書いているから、過去の自分の文章は感性が近いという安心感もある)。
仮に自分が躁鬱だったとして、文章量やブログの頻度でその波を測ろうというのもある。ほぼ参考にはならないだろうけれど。
結局、日を跨いでしまった。不安や恐怖の情報は脳内に焼き付いてしまい、駄文を書き続けてもうっすら残っている。
何も考えず、ベッドに突っ込むか。
以上です。