カラオケに行きたい気がしたり、ホットケーキを焼きたい気がしたけどできなかった。
アボカドの土は換えた。冬を越してから出た葉の色が薄くなっていたから、土を少し新しくしてみた。葉先の枯れは少しだけだし新しい芽も出て元気だけど、少し気になる。
個体差なのかもしれない。あと天気とか。自分も春の天気に振り回されているし、彼(?)もそうなのかもしれない。
少し抑鬱的なアボカド。
ここではないところで記事を書いた。言い訳がましい気がして自分に嫌気がさしたけど仕方ない。誠実であろうとはした。
自分が好きで始めたことも、興味があって新たに手をつけたものも、公開すると「うまく畳めるか」が気になってしまう。
途中で投げたっていいが、読む側からすれば下書き保存されたものは見えない。
公開されたものの足下にどれほど悩んでは捨て置いた文章が埋まっているのか気づけない(勿論、僕もそうだ。見える部分で判断してしまう)。
そうやってあちこちで広げたままの風呂敷を、一つずつ畳んでまわる。SNS、絵、動画とか、音楽とか…いろんな所にいろんな痕跡を残してしまっている。
最近は学生時代より気長になったのか、また再開するみたいなこともできるようになった。
(学生時代は途中で止まったゲームや創作は、もう二度と手をつける気になれなかった。また一から始めた方がすっきりする。)
今日はまた一つ、区切りをつけた。
続けていく恐怖に襲われた結果、こぢんまりとそれらしくまとめた風呂敷の包みが、だだっ広い白い空間にバラバラ転がっていて、まとまりのない自己をつくっている。
虚しいのか。それとも過程が面白いからよかったんだ、ということなのか。過程にも興味を失ってしまったのはなぜなのか。
実績というより、残滓という感じがする。
もっと悪くいえば、排泄物。
そういう感じです。