壁打ち

感想、考察、日記、メモ等

20230321

考察記事を書くと(特に熱心なファンのいるジャンルでは)色々言われる。

直接的ではなくても、別のところで言及されたり「お気持ち表明」されたりする。

 

そういうのをされる度に、他人の存在する世界ってめんどくさいなと思う(暴論だが)。

相手の思うつぼなのかもしれないが、次の記事なんて書かないで非公開にして、あとで自分だけ取り出して眺めようとか考える。

好きなジャンルの話とか他の人たちの考察も見たいけど、このジャンルはめんどくさいから公式以外はシャットダウンしようとか。

 

 

 

でも、考察然として構成された記事やまとめ記事は特に「目障り」だという気持ちはわかる。

 

それを鵜吞みにする一定層がいるからだ。

(熱心なファンであればあるほど情報収集をするので、そういう論拠の乏しい体裁だけ整っている記事に「鵜呑み層」がそうなのか~とあっさり信じてしまう様が、目についてイライラしてしょうがない。)

 

 

 

「ソースは?」はよくあるミームというか、「それなりの体裁をとって情報発信するなら、根拠に基づいた主張をすべきだという正論」と「根拠に基づかないと、無邪気な熱意や自由な発想の生じる隙すら生ませない狭量さ」のダブルミーニングなのだと個人的には思っているが、

自分はそういうコメントがくっついてくるのが気になるので、基本はコメントオフにしてしまう。

 

(↑それは逃げ、と呼ばれても致し方ないと思う。逃げですよ、それ見るたびに激昂したり落ち込んだりしてるから現実生活を送ることに支障が生じて、自分の内部から勝手にめんどくさくなっていくので。)

 

 

 

「自分の足りない頭なりに根拠を探し、わかりやすい構成を考え、体裁を整え矛盾がないかチェックし、自分の考察した内容を公開するまで」にかけた労力に対し、

 

「ソースは?」とコメント欄に打ち込むだけの人間を見ると、お前もそれなりに矛盾点をまとめて、その矛盾や訂正の裏付けになる論拠を立てたうえでつっかかって来いよ、と思ってしまう。

 

 

 

そういう思いをさせられた時は、次回以降気を付けますという気持ちを込めて、

 

過剰なほど注意書きを盛り込んだり、「あ、これ根拠ないって言われるな」と思った部分や、本当に言いたい表現を削除して骨抜き記事にする。どうせ間違った骨なら抜いた方がいいんだろうけど。

お気持ちの存在するSNSで「お気持ち謝罪」したりする。(「お気持ち謝罪」は全然関係ないジャンルの人たちが委縮してしまうから本当は避けたい)

 

 

 

数秒で書ける一言で、低い労力で気持ちよくなりたいだけだろ。

SNSで主語を隠して言及することで、テレビのコメンテーターみたいな薄いご意見番みたいなことを皮肉っぽく言ってスカッとしたいだけだろ。

 

 

コストをかけてレスバしろよ。

 

 

 

※たぶんこういうくだまきをいう人も昔からいて、古のインターネットが繰り返されているだけなんだろうなと思う。自分もただの人間のコミュニケーションの坩堝に取り込まれている塵にすぎない。私は馬鹿な人間だと断言せざるを得ない