壁打ち

感想、考察、日記、メモ等

2023/3/20感じたこと(大森靖子のイマジナリーフレンド、ジョジョ4部の山岸由花子)

友達ってさ都合良くね
そばに居てくれる人なんだ
そんな暴力僕ヤダから
君だけしか話せなかった

 

大森靖子作詞の『イマジナリーフレンド』。


ある意味潔癖でもある誠実さ。

対人というのは基本的にギブアンドテイクだったり共依存だったり、本人達も意図していないような無意識のうちに関係が構築されているものだと思う。


それはどういう形が正しいとかではなく。

 

 

都合よくそばに居てくれる人、と考えることが「暴力」なのは、相手の世界を尊重したいから。
でもそうすると、現実にいる人間と自然に対話することはかなり難しくなってしまう。まさに運命的といえる出会いでもなければあり得ない。


多分ほとんどの人は、そういう相手に巡り合えない。

 

 

 

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ジョジョ山岸由花子の台詞で、運命の相手を「一生みつけられない人もいる!このすばらしさがまだわからないの!」という台詞がある。

 

彼女のした行動は『イマジナリーフレンド』の、個々の人間にはそれぞれ自分の都合があり、私の都合を押し付けることはできないという思考とは真逆である。

 

 

しかし人との関係性に潔癖で、切実で、それを追い求めずにはいられない苦しさは似たところを根源としている気がする。

 

康一君が現れる前は、彼女はどんなメランコリックな視線で世界をみていたんだろう。

 

 

 

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そういう切迫した、緊張感のある「運命の相手探し」は学生時代特有のものに感じる。

 

大人になれば世の中に色んな人がいて、色んな関係を平行して持てる、あるいは嫌な関係は回避できるシーンが多くなる。それ故のゆるさ。

 

 

(これは僕が自分の人生を諦めているからそういう視点になっているだけかもしれない。

僕の手にある結婚線によると、ちょうど今の年齢に運命の相手が現れる「ラストチャンス」がくるらしい。結婚線なんて見なくても、そろそろラストチャンスだろうことはわかっているけど。

でも僕はそれを諦めた。もう人間であることや、人と関係を持つことに消極的になったからだ。

こういう駄文を書き続けているのは、自分を外からみたり時間をおいて振り返ったりして楽しむだけの、自分自身のおもちゃでしかない。)

 

 

 

 

彼女たちと同じ切実さに追われている少年少女(あるいは大人になっても、諦めず探し続けている情熱を持ち続ける勇気のある大人たち)は、とても美しいと思う。

 

 

 

 

自分を棚上げして僕は何様なんだろう、と自分でも思う。

だからせめて、他者の領域を侵さない「潔癖な誠実さ」は忘れないままでいたい。

中途半端に他者と関わるくらいなら、独りでくたばりたい。

 

 

 

そういう風に思いました。