たまたまtwitterで見かけた『劇光仮面』を読んだ。
面白い、読むのが止まらない感じの面白さは久々で楽しかった。
けれども完結してないことと、時間制限付きの無料公開という「焦り」が苦しかったので
2巻分くらいまで読んで次のお楽しみとした。
※完結してない作品を観るとついていけなくなる不安感が常にある、という個人的な気質
読んでみて、作者はそこそこ年上の方だろうなと思っていたらシグルイ(の作画)を描いてた方だった。めちゃくちゃベテラン。
特撮そのもの、作品だけじゃなく製作側の話もよく知る人でなければ描けないと思った。
そして社会問題、戦争、その他作品が生まれた社会環境までをリアルタイムで体感して(または他の世代の見聞きしたものを学んで)きた人でなければ描けないとも思った。
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僕は年を取って、自分好みというか「どれだけ自分に近いか」を尺度として、作品を選んで見るようになった。
学生の頃より狭量になったようで情けない。けれど年を経て自分の傾向が見えてきたとも言えるかも。
昔からキャラクター重視ではあったが、
最近は特に自分の美的価値観に近い
「その人間たちを好きになれるか」という観点が占める割合が大きくなってきたように思う。
劇光仮面の主人公は、(作品を他の作品に例えるのは野暮を承知で)僕がたまに考える
吉良よりは、誠実性が加えられていてより好みの形だと思う。
(ここでいう「誠実」というのは善人であるということではなく、素朴・愚直・朴訥という方が近い。ストイックというか。)
そして周囲の人物も、どこかドライで淡々としている。感情はあるが、読者を心理的に不快感で揺さぶるような感じではない(これは個人的な主観)。
露悪的な感情の描き方でない、という表現がいいだろうか。喧伝的でない。
そして主人公の視点をベースに語られるのもまた、僕好みだった。100%独白ではなく、個々の人物の思惑や客観的描写も含みつつ、
しかし重要なシーンでは主人公を通して見た世界があり。
単純に、主人公が好きと言えばいいのだろうか。
ドリフターズの島津やブラスフェマスの悔悟者、OFFのバッター。
それら「多くを語らない人物」を土台として、かつ、
吉良吉影のような執念、執着、「そのように生きざるを得なかった気質、精神性」、そこに善悪はないけれども、理解されない場合の多い人物像。
僕は彼らにはなれなかった。多分一生憧れているんだと思う、幼い頃から無意識にずっと。
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戦争や犯罪描写も、近年(僕が子どもから大人になるまでに)だいぶ多面的になってきた気がする。
口をつぐむことが必ずしも正義ではない流れになってきていると思う。
(何でも語ればいいというわけでもない。
特にまだ戦時下の経験のある方々が多かった時代は、PTSDや触れられたくないタブーとして、知らない世代は黙することが最も誠実で人を傷つけない方法であるとされていたんだと思う。)
作家が長年熱意を持っていた、練り続けた、憧れた分野でありしかしまだ世には出せなかったものがついに開かれた、という印象を受けた。
あくまでも、通りすがりの僕の印象だけれども。
とても素敵だと思った。また続きを読みます。
以上です。