壁打ち

感想、考察、日記、メモ等

202305XX(『amazarashi 「アンチノミー」YOKO TARO Edition』感想)

youtu.be

 

観た。

※「読んだ人が不快になる系」タグをつけましたが該当する内容は後半で、前半は普通の感想です。

 

ゲームは全エンド回収(データは消さなかった。その勇気がなかったし、自分に残すべき言葉は無かったから)、アニメや派生作品はあまり触れていなかった。ゲーム自体もプレイしたのは何年も前なので、記憶はおぼろげ。

そういう人の感想という前提でお読みください。

 

 

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エンドというか、本来の全貌(アネモネ?が知ったレプリカントの戦争の構造)を見せたのか?

ヒトは既に滅びていてプログラム同士が争いを続けているみたいな感じだったはず(曖昧)

 

ヨコオタロウ氏は人類に絶望しているのでよい。

人類は弱いし醜いし愛情は変質する、簡単に滅びるし残滓が世界を汚してゆくっていうところが、どこまでも絶望的で共感できる。

その中の美しさはあるけど、基本的に希望は見出だしてないのが無情でいい…

 

子どもがよく登場するところも好きだ。朗読が純朴な印象を、つまりはロボット達の悲しいくらい無垢な部分を強調していると思う。

目隠しの“意味”も分かって興味深かった。僕はこういう由来の物語や民話が好きだから…

 

ここから先は不快な印象を与える考察になるので、なんでも読める人はよかったらどうぞ。

 

 


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オートマタ?ニーア達が女性と子どもしかいないのは(公式で理由が呈示されていたらただの露悪的な深読みですが)

婉曲的に言えばコンパニオンとして、

ストレートに言えば性の消費先としてアンドロイド(人形)が作られていたから、

それをちょうどよいヒト型の器としてAIを中に組み込み、戦闘用として流用していたのでは…とプレイ中に思った。

 

とても精巧なのは、元々「愛玩用のドール」として大量に売り出され消費されていたから。欲望に根付いたモノはどこまでも発展して、さらに量産できる体制が作られていた、そういう土台があったかもと思う。

それをそのまま利用するのが、一番コスト的にも造りの緻密さとしても目的に合致していたのでは。

 

人間の子どもは洗脳しやすいし、女性は一定以上の膂力が出せない(ニーアシリーズの女性キャラはめちゃくちゃ強いですが)、この特性は模したモノの方にも引き継がれるだろう、と錯覚してしまうのではないか。

いわゆる「大人の玩具」としては成人男性型より子どもや女性型の方が主流だとも思う。

万が一反乱を起こされても(少なくとも男性型よりは)危険性は低く、スパイ行為や情に訴えるようなアクションもとりやすい。

…だろう、と軍部が説明して、大手製作会社を買収したとかだったら、とか考えていた。

 

※男性性的なモノがあるとすれば巨大ロボ的なもの、これは工業用のクレーンや重機を利用すればよい。これらは人の形を取っていない分、「ヒトを超えてしまう可能性を秘めたAI」というよりは「道具」的な感覚が強い。

あくまでも印象の話。

 

 

意地悪な考察ですが。