壁打ち

感想、考察、日記、メモ等

きゅうくらりんの歌詞、ドキ文と一時期の言説、個人的な感想

※この文章を書いた人間は原作未プレイ、実況を流し見したうえでこの文章を書いていますので、信用しないでください。

※この文章は「ドキドキ文芸部」のネタバレを含みます。

※この文章は実際にあった言説、根拠の不明瞭な言説に触れています。

※この文章は精神疾患及び自死について触れています。

※この文章を書いた人間自身が精神疾患の治療中であるため、主観に基づく内容が含まれる可能性があります。

 

 

 

ドキ文と一時期の言説

 

 ドキドキ文芸部をプレイして死んだ人がいるという話(結果的には直接の因果関係はなくデマ)があった。

 

 (前提として、どんなゲームだってコンテンツだって、何を食って何時に寝ようがその条件を満たしかつ自殺したという人はどこかにいるだろう)

 

 ただそういう言説が実際に生まれてしまったのは、サヨリ心理的表現が切実であったから、それに多少なりともシンパシーを抱いた人は一定数いただろうかとも思う。

自死の直接のきっかけになるかどうかはその人次第)

 


 ごく個人的な感覚であるが、自分は双極性障害とはいかないまでも活動/非活動状態の波があるし、日によって顔つきや態度が違うのではないかと思うことがある(それを指摘してくれるほど親しく、かつマイナス面に触れられるほど打ち解けた人はいないから、他者から指摘されたことはない)

 そして自分は仲間を探したいと思っていた。

 

 そういう人がサヨリを見て自己投影して、これが私の言いたかったことだと胸を打つような感情になるかもしれない。人に言わなければ病気じゃないように見えるような境界にいる、自分はまだ動けるんだからできることはやらなくちゃ、と思っている人。

 

 

 そういう人間にとって、サヨリはどう映るのか。


 大切な人に「私はうつ病です」と告白することの不安感(死なないように束縛されるかもしれない、過度に心配されてしまうかもしれない、関係が壊れてしまうかもしれない、怯えた目で見られるかもしれない)。
 あるいは「決意」したから最後に言い残すという意味での、けじめ。もう同じ関係性でいられないのが決定的になった(と主観的に思った)から、告白する。

 

 サヨリがあのタイミングで告白し、その後すぐ首を吊ったのは

 ・私が「こうなった」のは、あなたのせいじゃない、病気のせいだからねという念押し。

 ・あなたの人生にインクの染みのように「自死した友人がいる」という過去を残してしまう申し訳なさ(申し訳ないという気持ちがあってなお、生き続けることはできない強い死への希求)。

 

 

きゅうくらりんの歌詞について(個人の感想であり、解釈ではない)

 

 ※色々勝手な話をしています。製作者さんとこの歌が好きな人たち、すみません。

 

"化石になっちまうよ"
 「化石になる」は一般的な用法としては、くたびれるほど待ち続けるようなことを指すと思う。
 彼女が待っているのは本当は「自分が死を既遂すること」ではないか。
 

 しかしまだ準備ができていないので、彼女は「朝迎えに来てくれる主人公」を化石になるような気の遠くなるような苦痛な朝を耐えている。相手が主人公でも死神でも、待たなければいけないという意味での「化石」。

 


 準備ができていないとは(自分の人生に対する気持ちの整理と別で)。
 

 サヨリは、主人公が自分を好きになってくれるだろうとは思っていない(そこまでの自己肯定感はもう無いと思う、多分)
 正統な恋人にはなれない、でも諦めきれない。

 せめて愛した証として、または諦められなかった自分の気持ちへの意趣返しとして、主人公には「普通の幸せ」(私みたいな暗い人生に陥らない幸せ)を享受してほしい。

 

 自死をしたいと思った時、サヨリにとって気がかりだったのは主人公で、自分の死によって傷ついたり後悔したりしてほしくない、別の存在を愛して私のことは忘れてほしい、そうすれば安心して去ることができる。

 

 

"空っぽが埋まらないこと"
 あなた(主人公)が私の命を引き留めようとして、もしかしたら愛と憐憫を勘違いしてサヨリを好きになってくれるかもしれなくても…サヨリは主人公に愛を返せない。
 

 主人公がなんて言葉をかけても、何をしてくれても、私が死を希求する気持ちは変わらない(空っぽのままだ)から。自死を選ぶだろうという結末が変わらないから。
 

 でも一時的に生きる痛みを和らげてはくれるから、つい明るく振舞ったりコミュニケーションを求めたりしてしまう、それが本当の満足感に繋がらない、数十秒間の幸福だとしても。

 

 そして、「空っぽが埋まらないこと」を主人公に知られては駄目なのだ。知られたら、もう主人公は永遠にそうしてくれないかもしれないから。

 

 声掛けや朝のお迎えや幼馴染の特権で許される色々が、全てサヨリにとっては一時的な痛み止めであって、サヨリの本心には一切響かないことを知られてしまったら、彼はそんな労力を割いてくれなくなるかもしれない。

 

 

"あなたの右どなり"

※全ての分岐を見たわけではないので断言はできないです。

 

 右どなりには誰か女の子がいて、多分主人公と親密な仲になるのだろう。それはサヨリの命を引き留めていた主人公の存在が離れていくこと。

 ショックではあるけど、これで死にたくなればいつでも死ねる、「準備」ができてしまった。

 

 

"朝が来たらわたしはどうする?"

 すぐ「決行」するかはわからない、いつなのかは私も分からない、いつ私は思い立つんだろう?(自死への衝動は本人でさえ予測できない)


 主人公は明日以降は迎えに来ないだろう(とサヨリは思い込んでいる)、次の朝からは「命の決定権」が完全に自分にゆだねられてしまうのだろう。

 


"一歩一歩あとずさり"
 主人公が、学校を休んだサヨリを部屋まで見に来るシーン。ここで引き留められたらどうなるのだろうという気持ち。

 サヨリが後ずさりしているというのは、愛されるかもしれないという可能性に縋る正の方向なのか、「決行」の退路を閉ざすためあえて主人公を帰そうとする負の方向なのか。


 「また明日ね」はいつも通りのあいさつになるのか、嘘になるのか。

 


"喜びより安堵が先に来ちゃった"
 自分のいない未来で主人公が幸福になることを素直には喜べない。

 ただ「これでよかったんだ」という安堵というか諦念があって、おちるべきところにおちた、という感覚。


 場の調和に重きを置いていたサヨリにとって、ある意味「この空間は、この世界は自分の支配下にある。怖いことも嫌なことも起こらないように、私が先回りして動けば解消される」という感覚に安心感があり、主人公がサヨリの世界観を壊してまでサヨリを引き留めようとするのは怖かったのかもしれない。


 死の恐怖については「自分は自分の人生を、死さえもコントロールできている」という自己認識によって感覚麻痺しているのかも。

 


"あなたが知ってしまう"
 サヨリ自死を、もしかしたらサヨリの「現場」を目撃してしまうかもしれない。大切な人にトラウマを植え付けたくない(たとえ自分がどうでもいい存在でも、小さな染みみたいなものでも)。

 


"幸せな明日を願うけど 底なしの孤独をどうしよう"
 もし主人公のいない朝を乗り越えて生き残ったとして、それは一般的に幸せなことだろう(死ななかったという点において)。

 自分の思い描いたとおりの居場所に囲まれて(仲良しの文芸部、自分ではない誰かを愛す主人公)生活していく「生存ルート」の方が、平和ではあるだろう。

 

 それはサヨリが考えたゴールの一つで、後は「決行」までの穏やかで楽しい余生を過ごせればいい。
 

 ただ、そこには永遠に孤独感が付きまとうだろうともわかっている。

 多分サヨリの本当の気持ちに一番近づける可能性がある(あった)のは主人公で、彼がもうサヨリと一緒になることがないならば、(サヨリにとっては)一生孤独を背負って生きるという意味になる。

 


"虹がかかっている空 きれいと思いたくて"
 明るく元気なキャラクター、陽のエネルギーでいっぱいの人間ならこの空を「ハッピー」と表現するだろうな。でも何も感じられないな。

 そう思いながら過ごしていたのだろうと思う、だからあえて演じるように振る舞うこともあったかもしれない。


 世間的にありがちな「なりたい自分になれるよう努力をしよう、行動しよう!」っていう言葉を、そう解釈して心の支えにするような感じ。

 


"焦がれては逃げられないこと みんなにはくだらないこと"
 自分は明るく元気なキャラクターにはなれない。うつ病の治療中の人間だ。好きな人はいるけど、望み薄だし「死にたい」時の足かせになるかもしれないから、告白はしない。
 

 サヨリが焦がれたのは、サヨリの思い描く理想の「普通」になることで、元気で明るいみんなに気を配れる女の子になって、幼馴染を自然に好きになって、告白して、彼女になること。

 でもサヨリの本質はそれではない、と自分で理解しているから逃げられない。死の誘惑から逃げられない。

 

 サヨリの存在は他人にとってどうでもよくて(とサヨリ本人は思い込んでいて)、サヨリの中に渦巻く醜い諸々ですら、みんなにはくだらないこと。無視されても仕方のないこと。


 そして"もう どうしようもないの"という言葉で、反対意見や世間一般論や正論を突っぱねるのがサヨリの唯一の抵抗。自分はもうそういう存在なのです、とシャットアウトする行為。

 その行為が歪であること、極端な考えは病気の症状であること、でも自分の性質とも絡みついているもの。それら全てを理解して、本人は突っぱねているのだと思う。

 「自分は周りのことも自分のことも世界のこともよくわかっている」という傲慢ともいえる支配感。(傲慢だということもわかっている、全てわかったうえで、誰にも言わないように自己を束縛している。言えば世界は崩れるから)

 

 

"そばにたぐりよせた末路 枯れ落ちたつぼみが こんなにも汚らわしくて いじらしい"
 あえて主人公を遠ざけ、死を近づけた。あるかもしれない主人公との恋もフラグを折って「枯れ落ちたつぼみ」にした。
 

 サヨリの物語の終止符のようなつぼみは、世界や周囲への醜い支配欲であり、自分勝手な行為であり、汚らわしいと断言できる。けれども自分が計画した「悲劇の物語」を書きあげたという証明でもある。
 ある意味、努力の証。その一途さだけはいじらしいと、唯一自分を肯定できたかもしれない。

 

 

"ああ呪いになっちまうよ"

 自分に関わった人たちの人生を汚してしまうこと。(たとえ自分がちっぽけな存在だとしても、いい気分はしないだろう。いい気分をしたとしても、それはそういう形として他者の中に残るだろう)

 

 (ゲームではサヨリの死をきっかけに?ゲーム全体の秩序が狂い始める。モニカがサヨリの死を利用して、ゲームの破壊を増幅しているようにも感じた。それは好きだった主人公にも降りかかる呪いになってしまう)

 


"頭の中で ノイズが鳴りやまないから"
 ゲーム的にいうとノイズ=モニカの干渉だけど、「死にたい/生きたい」を行き来する自分の心理状態のことかもしれない。

 もう筋書きは決まっているんだからと思っていても、もしかしたら思いがけない展開があるかもと期待する気持ちが1ミリでもあるのかもしれない、自分はそれを否定したいので「ノイズ」と呼んでいる。

 

 

"ああ あの子の言うとおり 終わりなんだ"
 あの子はモニカ。多分モニカが(NPCである)自分より上位の存在であると気づいているのかもしれない、あるいは何かモニカとサヨリが取引をしたのかもしれない。

 例えば、サヨリの死(NPCの死というゲーム内のバグ要素)のいわば使用権、キャラクターのDelete権限をモニカに使わせる代わりに、その後の世界では絶対に主人公を幸せにしてあげるとか。

 


 最後のフレーズはサヨリの夢(走馬灯?)。主人公がサヨリを選んでくれること、サヨリの書いた筋書きを破壊して一足飛びに幸せにしてくれること。
 

 サヨリは主人公の恋人になれる「幸せ」を掴み、入念に作り上げた居場所や関係性、そして「自死の結末」を失う。モニカからの脅威にも晒されるかもしれない。


 "愛した罰を受ける"ことは、上記の状況になったとしても死なずに病気と共に生き続けること、世界が自分の思い通りにならなくてもそれを受け入れること。

 

 "あなたの胸で泣けたなら"は表面的な甘えではなく、サヨリが自分の方から、自身の暗い部分を大切な人の前でさらけ出して、本当の気持ちを露わにできたなら(そんな勇気があれば)ということだと思う。

 実際は大切な人を信頼して本心を打ち明けるよりも、関係が壊れることを恐れて大切な人の足手まといにならないような行動を選んでしまったから。

 

 そう思いました。