壁打ち

感想、考察、日記、メモ等

20240701(『さよならを教えて』感想①、他雑記)

忙しかったり行き詰ったり。(行き詰るとここに何か書いている気がする)

 

 

6月は書く気はあったものの純粋にスケジュールが埋まっており、けれどそれは実家に行くとか家事をこなしつつ趣味をやるとか、時間の約束があるとかで

一般的にはごく普通の人の暮らしだと思う。

 

土曜出勤の日は普段より多くの買い物客や市街地に遊びに来る人達、老若男女、観光客がいて、歳を取って億劫だとか異国でよくわからない人間たちに囲まれているとか、

そういう状況を楽しめる人たちがこんなに世の中にたくさんいることに驚く。

(これは嫌味ではなく。そういう今の状況に絶望せず楽観的でいられる人たちが生存すれば、まだしばらくこの国は国の形をして残り続けるんだと思う。)

 

 

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さよ教は全スチルは回収したが、組み合わせ(本命~3番目に好感度を上げた生徒)によって読んでない文章があると思う。

 

例えば僕は初見時に望美、御幸、睦月の順で攻略していたのだが(多少前後してるかもしれない)、全員に遭遇して少し経ったあたりの夢で上位のうち2名が会話するシーンがある。

初見時は望美と御幸で、

攻略情報を見て睦月とまひる回を回収した時はこの2名が会話していた。

 

どちらもオリジナルテキストで、

特殊会話ほどではないけれども生徒AとBというようなテンプレ使い回しという訳でもなかった。

 

また後半に入り本命が定まってくると、各々本命キャラに絡んだエピソードを話してくれるのだが

キャラの出現順が変わったり、語られる内容的に本命キャラではなく”その生徒自身のエピソード”にも関わってきたりもするので

既読%表示とかが欲しくなってしまった。(そういうゲームではないのでは)

 

 

一部しつこい感じの文章があったりもしたが、思いの外サイコパス方面より内面の心理的な罪悪感や内気さ、トラウマ等の表現が入っていて

ただエログロをやりたいぞ~だけで作られた感じではない、個人の趣味を収集したものを見せてもらったような面白さと生々しさがあってよかった。

 

 

さよ教については”エヴァ以降”の作品なのでやはりその辺りは気にしてそうだった。

エヴァエヴァしくならないように気にしてると設定資料集に書いてただろうか?まだ読んでいる途中だ。

 

エヴァは最終的には”他者”との間のコミュニケーションをどうするかという話(一人は寂しい、その気持ちをどう歩み寄って埋めようか?という実践)になっているが、

 

さよならを教えてに関しては一患者の症例を見ているような、”個”の中で何が起こっているのか?という話(QOL的な改善への実践は含みつつも、あくまでも彼はそういう人物である、あったという帰結)であると思った。

 

トゥルーエンドというか、睦月エンドに関しては希望的観測として他者の存在はあるもののまだコミュニケーションの入口にすら立っていない(もしくはそこから離れてしまった)。

おそらく主人公(人見)は中高生の年齢を確実に過ぎているし、

アダルトチルドレンとかではなく全く別の病気(ここでは具体的な病名は挙げないが)に生涯向き合っていくとかそういう感じになるだろう。この話を実践的な観点で語るなら。

 

しかしそういうことではない気がする。人見は必然的にそういう風に生まれ育ったのであり、11日間(+エピローグ)の間で自己の写しのような少女達の幻を見ながら過ごした。

そこに成長や進展があるわけでは無く、ただ彼が何者であったのか?という話として完成されていて、個人的には安心感があった。

人間必ずどこかを目指さなければならないのなら苦しすぎるから。

 

 

「自分の写しのような少女達」と書いたが、おそらくだが精神分裂病、多重人格(と昔は呼ばれていた)といった人格障害の症状をベースとして設定されたように思う。

これが色々なタイプの美少女を登場させるゲームジャンルと食い合わせがよいのが少し皮肉で面白かった。

 

人は自分と似ているか、正反対の人を求めるようになると思う。

ただそういう人物を現実に求めても得られなかった場合、

自己の中にたしなめる役、肯定する役、児戯に没頭する役、見下すまたは見下される役、粗暴な役を自分の人格の中に作りだしたり、実際に自分が虐待を受けた対象からコピーを脳内に写し取ることがある。

 

このあたりは古めの多重人格者の症例や治療例を読めば割と出てくる。

児童の性被害者が多く、自分の中に全く違う人格(少女の中に加害者の成人男性人格が含まれていたり)が取り込まれていて、

それを治療を通じてその人格を”追い出す”とかしていたのを本で読んだ。

ただ成功例は決して多くなかった記憶があるし、現代治療で実践されるかは微妙だ

(そもそも無理矢理植え付けられたとはいえ「治療の一環として人格を弄る」行為が当時から問題視される点もあったように記憶している)。

 

そういう病理分野を反映させているんじゃないかと思う場面が多々あった。

僕が僕の知識に沿った内容で満足しているような傲慢さもあるが、そういう部分でも”知ってそうだな”という面白さがあった。

あくまでも思い込みでしかないですが。

 

 

もっと他にも書きたいことがある。

今日はリハビリのつもりで適当に書いてみたので、終わりです。

最近はやりたいことに手がつかなくなってきてる、スタミナ切れみたいなものを感じつつある。季節バグってるし。

苦しいね。

 

 

 

そんな感じでした。